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高松高等裁判所 昭和27年(う)838号 判決

控訴人 被告人 谷美喜雄

弁護人 寺田熊雄 外一名

検察官 大北正顕

主文

原判決を破棄する。

被告人両名を各禁錮十月に処する。

原審における訴訟費用中証人谷千代子、同宇都宮博成、同大野好春に支給した分は被告人谷美喜雄の負担とし、証人東政陽、同小泉正広、同武田頼一、同亀山義一、同岡田貞利、同岡村進、同大西政数、同秋山五郎、同藤原芳吉、同本谷義一、同上田又一、同土井孫三郎、同平田寿に支給した分及び第二回尋問の分として証人三好竹市、同法華津タカ、同松本高に支給した分は被告人西岡亀盛の負担とし、その余の分は被告人両名の負担とし、当審における訴訟費用中証人沖田幸雄に支給した分は被告人谷美喜雄の負担とし、証人上田又一、同三好竹市に支給した分は被告人西岡亀盛の負担とする。

理由

被告人谷美喜雄の弁護人玉井安美並に被告人西岡亀盛の弁護人寺田熊雄の各控訴趣意は夫々別紙記載の通りである。

弁護人玉井安美の控訴趣意第一点について。

論旨は原判決は被告人谷が原判示乗合自動車内において原判示蓄電池の存在を知りながらその上にフイルム鑵一縛り(「男の花道」十巻)を横倒しに置いたことの証拠として検察官作成に係る被告人谷美喜雄の第一回及び第二回各供述調書を掲げているけれども、右各供述(自白)は任意にされたものでない疑があるから、原判決がこれを証拠としたのは刑事訴訟法第三百十九条第一項の規定に違背していると謂うのである。しかし被告人谷美喜雄の検察官に対する第一回(昭和二十六年十一月六日附)及び第二回(同月十四日附)各供述調書を検討するに、右各供述調書にはいずれも検察官が供述拒否権を告げて取調べたところ被疑者は任意に供述した旨、供述を録取し読み聞けたところ誤のない旨申立て署名拇印した旨の各記載並に被告人の署名拇印が存する上、本件記録を精査しても検察官が被告人谷を取調べるに際し強制、拷問、脅迫又はその他の方法により無理な取調をした形跡はこれを窺うことができない。被告人谷は原審公判廷においても警察で大声で調べられたことがある旨述べているに止まり、検察官の取調方法が無理であつたことを何等訴えていない(原審第七回公判調書中被告人谷の供述記載参照)。而して被告人谷の検察官に対する供述の内容中重要部分を進んで検討するに、論旨摘録の如く前記第一回供述調書には「(前略)大西停留所で運転手席の真後に置いてあつた座布団包を車から下したのでその辺りが空きましたから私はおどろき一家の八巻を邪魔にならない場所へ置こうと思い運転手後の横の金棒を左手で掴んで右手で繩を持ち運転手席右後の空いた処へ置きました。其処は荷物が置いてなく床が見えました、その時運転手席真後の下に黒いバツテリーが置いてあるのに気付きました、そしてその端の方に新聞を巻いた包がいくつももたせかける様に置いてありました、それは左側一番前の座席との間であります、私が八巻を置いて姿勢を元へもどすと丁度後の方から左前の方へ男の花道のフイルムを「ヨイシヨ」と云つて横にして出して来たので私はその一方の端を掴んでその人と一緒に之を私は自分で方向を定めてそのままバツテリーの上へ置きました(後略)」との記載が存するところ、本件乗合自動車の運転士席真後の床上に黒色の蓄電池が覆いのないままで置かれていたこと、運転士席背後に積み重ねてあつた乗客二宮卯吉の持込荷物である座布団十枚の包が大西停留所で下されたことは本件証拠上明かであり、その他証拠上窺える諸般の情況より判断すれば当時車内は満員の乗客と多数の持込荷物で混雑していたとはいえ大西停留所において右座布団十枚の包が下された直後運転士席背後に相当の空隙を生じたため被告人谷が本件フイルム罐を置き換えるに際し右蓄電池の存在に気付くということがあり得ないことであるとは見られず(右座布団の包が下された直後本件バツテリーの附近に新聞紙の束があつたとしてもバツテリーの上部全体が蔽い隠されていたものとは本件引火の状況よりして認められない)、バツテリーの存在に気付いたとの被告人谷の前記供述が必ずしも不自然不合理であるとはいえない。尚論旨は検察官において被告人に対し強制的に供述せしめた事実がなかつたとしても被告人の司法警察員に対する供述は任意性の点につき疑があり従てその後に取調べた検察官に対する供述も任意にしたものでない疑があると主張するけれども、供述の任意性の有無は各取調につき夫々別個に検討すべきであり、仮に所論の如く被告人の司法警察員に対する供述につき任意性を疑う余地があつたとしても、その後になされた被告人の検察官に対する供述が直ちに任意にされたものでない疑があるとはいえない。これを要するに論旨主張の諸点を十分考慮に容れても、本件事故が余りにも大であつたため被告人が取調官より或程度心理的に圧迫されたことはこれを疑い得るとはいえ、被告人の検察官に対する供述が所論の如く任意性を欠くものとは未だ認められない。従て原判決が被告人の検察官に対する第一回及び第二回各供述調書を証拠に採用したことを以て違法であるとはいえず、論旨は採用し難い。

同第二点について。

論旨は原判決が被告人谷はバツテリーの存在に気付きながらその上にフイルム罐を置いたと認定したのは誤認であり且つ右の点につき被告人の自白を補強すべき証拠がないと謂うのである。しかし被告人谷がバツテリーの存在に気付いていたとの主観的事実についてはその直接の証拠は同被告人の自白だけであつてもバツテリーの上にフイルム罐を置いたという客観的事実について自白以外の証拠が存し自白の真実性が保障せられると認められる以上必ずしも自白の補強証拠を要しないものと解せられるのみならず(最高裁判所昭和二五年一一月二九日大法廷判決参照)、原判決が証拠として掲げる裁判官の証人沖田幸雄に対する尋問調書には「私が外へ出てから五、六分して谷さんにどうして火が出たのだろうかと聞いて見ると、谷さんはフイルムを置いた下にバツテリーがあつたからそれでスパークして火がついたのではなかろうかと言つていた」旨の供述記載も存し、その他右尋問調書の他の供述記載部分及び原判決が証拠として掲げる原審の証人芝田武雄、同二宮卯吉に対する各尋問調書、検察官作成の実況見分調書(添付の写真を含む)等により認められる諸般の状況もまたバツテリーの存在を知りながらその上にフイルム罐を置いたとの被告人谷の自白の真実性を間接的ではあるが裏付け得るものであるから、原判決に被告人の自白のみによつて有罪の認定をした違法があるとはいえない。而して原審及び当審において取調べた各証拠を仔細に検討し論旨の主張するところを十分考慮に容れても原判決が挙示の各証拠(第一事実の証拠説明(四))により被告人谷が大西停留所停車の際本件蓄電池の存在に気付きながらその上に本件フイルム罐一縛り(男の花道十巻)を横倒しにして置いた事実を認定したのは蓋し相当であつて、原判決に事実誤認の疑は存しない。従て論旨は理由がない。

同第三点について。

論旨は原判決が裁判官の証人沖田幸雄に対する尋問調書を証拠として採用したのは違法であると謂うのである。仍て本件記録に徴するに本件第一回公判期日前である昭和二十六年十一月十八日松山地方裁判所裁判官が刑事訴訟法第二百二十七条に基き検察官の請求により沖田幸雄を証人として尋問しているところ、右沖田幸雄は同月八日及び同月十三日に業務上過失致死傷被疑事件の被疑者として検察官の取調を受けていること所論の通りである。しかし同一事件の共同被疑者として取調べを受けた者であつてもその者を起訴しないような場合において他の共同被疑者に対する関係において刑事訴訟法第二百二十七条の要件を充たす限り検察官が同条に基き裁判官にその者を証人として尋問請求をなすことは許されるものと解すべきであるから(刑事訴訟法第二百二十七条適用の前提となる同法第二百二十三条第一項にいわゆる被疑者以外の者とは当該被疑者以外の者を指称し共同被疑者もこれに含まれると解する)、本件の場合裁判官が刑事訴訟法第二百二十七条に基く検察官の請求により沖田幸雄を証人として尋問したのは適法であると謂はなければならない(当裁判所昭和二七年六月一四日判決、広島高等裁判所松江支部昭和二六年一〇月二四日判決、大阪高等裁判所昭和二六年一二月二四日判決、福岡高等裁判所昭和二四年九月二一日判決各参照)。而して原審は右裁判官の証人沖田幸雄に対する尋問調書を刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一号後段の規定に基きその証拠能力を認めたものであることは本件記録上これを窺うことができ、原判決が右証人尋問調書を証拠に採用したのは適法であつて、論旨は理由がない。

同第四点について。

論旨は被告人谷に対する原判決の科刑は重きに失すると謂うのである。仍て本件記録を精査して考察するに本件事故は後記認定の如く本件乗合自動車の運転士であつた相被告人西岡が自席背後床上にバツテリーを覆いのないまま置いて漫然輸送した過失と被告人谷が右バツテリーの置かれていることに気付きながら不注意にも(原判決が第一事実の証拠説明(七)において説示するところ参照)その上に映画フイルム罐一縛りを載せた過失とが競合して発生したものであるところ原判決認定の如くフイルム罐とバツテリーの接触に因る引火のため満員の本件乗合自動車内は瞬時にして火焔とガスが充満し遂に死者計三十三名、負傷者計十二名を生ぜしめるに至つたものであり、被告人谷は本件業務上過失致死傷につき相当の刑責を免れることはできない。しかし当時車内は満員の乗客と多数の持込荷物とで相当混雑していたこと、被告人谷は本件事故により愛児(二才)を失い妻は大火傷を負つたこと、国鉄職員の側にも相当責むべき点があること、本件乗合自動車は出入口が一個所のみであつたところ不幸にしてその出入口の扉が開かれなかつたため意外に多数の死傷者を出すに至つたことその他諸般の情状を彼此斟酌すれば、被告人谷に対する原判決の科刑(禁錮一年二月)は幾分重きに失すると認められる。従て論旨は理由がある。

被告人西岡亀盛の弁護人寺田熊雄の控訴趣意第一点について。

論旨は原判決が証拠とし掲げる被告人西岡の検察事務官に対する第二回、検察官に対する第三回及び第四回各供述調書は弁護人においてその供述の任意性を争つたにも拘らず原審が右各供述調書につき供述の任意性の有無を何等調査しないで証拠能力があるものと認めその証拠調をなしこれを有罪認定の資料としたのは刑事訴訟法第三百二十二条第三百十九条第三百二十五条に違背し違法であると謂うのである。仍て本件記録に徴するに、原審第四回公判において検察官より証拠調請求のあつた被告人西岡の検察事務官及び検察官に対する各供述調書につき、被告人西岡の原審弁護人はこれを証拠とすることに同意せず、右各供述は暴行脅迫による自白ではないが被告人西岡が調べを受けた当時は同被告人は相当精神状態が興奮していたところ取調官は犠牲者のことを持出して同被告人に心理的圧迫を加え供述を誘導した疑が多分にあり且つ各調書の供述内容に矛盾があるから供述の任意性がない旨主張したこと、これに対し検察官は心理的圧迫による供述は任意性を欠く供述に該当しない旨の意見を述べ、原審裁判所は供述の任意性の有無につき被告人尋問或は証拠調等をなすことなくして右各供述調書につき証拠調をなす旨の決定をなしその証拠調をなしたこと所論の通りである(原審第四回公判調書参照)。しかし右の如く被告人の供述調書の任意性が争われた場合供述の任意性の点につき必ず検察官をして立証せしめるか或は裁判所自ら被告人を尋問し又は職権で証拠調をしなければならないものではなく裁判所が適当の方法により調査し(当該供述調書の形式及び供述内容等も調査の資料となり得る)調査の結果供述の任意性につき心証を得ればこれを証拠とすることは何等妨げないところであり(最高裁判所昭和二六年(あ)第一二九五号昭和二八年一〇月九日判決参照)、原審が供述の任意性につき被告人尋問又は特段の証拠調をしなかつたからといつて直ちに任意性の調査をしなかつたものとは断ぜられない(尚任意性調査の事実はこれを公判調書に記載しなければならないものではない)。従て原審が所論各供述調書の供述の任意性の有無につき特に証拠調等をしないで該調書を採用しその証拠調をした手続自体が必ずしも違法であるとはいえない。仍て進んで被告人西岡の検察事務官及び検察官に対する前掲各供述調書の供述が任意性を有するや否やの点につき検討するに、原審第七回公判調書中の被告人西岡の供述記載に徴すれば、同被告人は司法警察員及び検察官の各取調を受けた当時本件事故が余りにも大きかつたため相当興奮して居り且つ多数の犠牲者に対し気の毒だ或はすまないという気持で一杯だつたこと、取調官もまた多数の犠牲者のことを持ち出して同被告人に対しかなり鋭く追及したことを、また原審第六回公判調書中証人古田正一の供述記載によれば、被告人西岡が野村地区警察署に拘束されていた間外部の者との面会を許されなかつたことを夫々窺うことができ、所論の如く被告人西岡は捜査官より或程度心理的圧迫を受けていた事実はこれを否定することができない。また後に説示する如く前記各供述調書の供述内容中には幾分不自然と見られる部分(中筋停留所停車の際映画フイルム罐を見たとの点)も存するけれども、検察事務官又は検察官が同被告人に対し取調の際強制、拷問、脅迫等を加えた事実又はこれに類する無理な取調をした事実は本件記録上全然これを窺うことができず、本件の如き多数の死傷者を生じた重大案件において前叙の如き心理状態にある被疑者に対し取調官が多数の犠牲者のことに言及して或程度追及的取調をしたとしても(かかる取調方法はできるだけ避けるべきであり、かかる取調の下における被疑者の供述の真実性については慎重な検討を要すること云うまでもない)、その程度が余りに極端に亘らない限り直ちにかかる取調の下における被疑者の供述が任意性を有しないものと断定することはできない。論旨の主張し且つ援用するところを十分考慮に容れて所論各供述調書の形式及び内容を検討し且つ本件記録を精査しても被告人西岡の検察事務官に対する第二回、検察官に対する第三回及び第四回各供述内容が任意にされたものでない疑があるとは未だ認められない。従て原審の訴訟手続及び原判決に所論の如き違法があるとはいえず論旨は採用し難い。

同第二点について。

論旨は被告人西岡に対する原判決(原判示第二の事実)は顕著な事実の誤認があると謂うのである。以下論旨の順序に従つて原判決の事実認定の当否を判断するに、

(一)  「被告人西岡は本件乗合自動車が中筋停留所に停車し乗客数名が降車した際自席左後方に乗客が本件フイルム罐の中一縛りを持込んでいるのに気付いた」との点について。

原判決は右事実の証拠として被告人西岡の検察事務官に対する第二回供述調書並に検察官に対する第三回及び第四回各供述調書を掲げて居り(原判示第二事実に関する証拠説明(二)参照)、右検察事務官に対する第二回供述調書には「この映画フイルムを積込んだ時は知らないのでありますが野村駅を発しまして中筋駅に停車しました時に客の乗降がありました。この時私は坐席より左斜後向位となつて見ました時私の坐席後のバツテリーより少し入口に寄つた所に裸の丸罐入の映画フイルムが荒繩縛りとして一縛り立ててあるのを見ました」との供述記載(記録第六四九丁)が存すること記録上明かである。而して論旨は被告人西岡の検察事務官及び検察官に対する前掲各供述調書の供述はいずれも任意性がない旨極力主張するけれども、右各供述が必ずしも任意性がないと断定できないことはさきに控訴趣意第一点に対する判断において説示した通りである。しかし右供述が果して真実性を有するか否かは改めて検討を要するところである。

仍て本件乗合自動車が中筋停留所停車の際被告人西岡が運転士席より左斜後を振向いて本件フイルム罐の存在に気が付く状況にあつたか否かを検討するに、原判決が証拠として掲げる証人三好竹市、同法華津タカの原審公判廷における各証言(原審第二回及び第三回各公判調書参照)、原審の証人松本高(但し第一回)、同森ツトメ、同谷千代子、同芝田武雄に対する各尋問調書、検察官作成に係る上田又一の供述調書並に原審の検証調書(昭和二十七年七月九日実施の分)を綜合すれば、中筋停留所停車の際本件フイルム罐二縛りが置かれていた車内の正確な位置はもとより判然しないが、大体運転士席左後の鉄柱の斜左後方附近床上に置かれていたこと並に運転士が自席より斜左後方を振向いた場合注意して見ればこれを見ることができる位置に本件フイルム罐が置かれていたことを一応肯認することができ、当時車内は満員であつたとしても停留所停車の際は乗客の乗降のため出入口附近は乗客の位置が変り降車客を通すために一時空隙を生ずることもあり、他方乗合自動車等においては運転士が停車時に振向いて出入口の方を見ることもしばしば吾人の経験するところであり(殊に満員で客の乗降が混雑する場合において)、中筋停留所において自席より左斜後向位になつて見た時少し入口に寄つた所に映画フイルム罐があるのを見たとの西岡被告人の供述が絶対にあり得ないことを供述しているものとは断ぜられない。しかし被告人西岡がフイルム罐を見たとの点については同被告人の右検察事務官及び検察官に対する供述以外にこれを認めるに足る直接の証拠はなく、当事車内は超満員であつて本件フイルム罐の周囲には乗客多数が種々の姿勢で立つて居り且つ他の持込荷物も相当数その附近に置かれまたは乗客がこれを携帯していたこと本件証拠上明かであり、原審が取調べた各証拠を検討し当審において検証並に証人尋問(当審の証人上田又一、同三好竹市に対する各尋問調書参照)をした結果に徴すれば、果して実際被告人西岡がフイルム罐の存在に気付いたか否かは相当疑わしいと謂わなければならない。換言すれば同被告人の前掲供述は真実性において多分の疑があることを否定できない。従て本件においては「被告人西岡が中筋停留所停車の際乗客がフイルム罐を持込んでいるのに気付いた」という事実を認定するには未だ証拠が不十分であり、結局原判決認定事実中右の部分は事実誤認たるを免れない。

(二)  「被告人西岡が午前六時野村町駅を卯之町駅に向つて発車するに当り自席背後床上に蓄電池が覆いのないまま積込まれていることを認めた」との点について。

論旨は被告人西岡は野村町駅発車の際本件バツテリーが自席背後床上に積込まれているのを認識していないと主張するけれども、右事実につき原判決が挙示する証拠(第一事実の証拠説明(三)に掲げられた各証拠が第二事実の証拠説明(一)において引用されている)殊に昭和二十六年十一月八日附検察官作成に係る被告人西岡の供述調書(第一回)に徴し十分右事実を認めることができ(論旨は原判決は何故かこの調書を証拠に掲げていないと述べているけれども、右は弁護人の誤解と思われる)、野村町駅発車当時まだ外界が暗かつたことその他論旨主張の諸点を考慮に容れて本件各証拠を検討しても原判決の右認定が誤認であるとは認められない。

(三)  「被告人西岡は蓄電池の端子に他の金属が触れれば電気的発熱を生ずることを知つていた」との点について。

原判決が第二事実の証拠説明(四)において説示する如く被告人西岡が蓄電池につきその危険性を知悉して居り少くとも右の如き程度の知識を有していたことは原判決の掲げる各証拠殊に検察官作成に係る被告人西岡の昭和二十六年十一月八日附供述調書に徴し明かであり、同被告人は本件事故迄約四年間乗合自動車の運転士をして居り而も運転士となる以前は技工をしていたこと(記録第九四五丁、被告人西岡の履歴カード写参照)より観ても、同被告人の蓄電池についての知識に関する原判決の右認定が誤認であるとは到底認められない。尚論旨は原判決が被告人西岡は蓄電池の端子に他の金属を触れれば電気的発熱を生ずることを知つていたことから直ちにフイルム罐を見たならばこれを蓄電池に近接させないよう適当な処置を講ずる注意義務があると認定したことを論難しているけれども、当裁判所としては前説示の如く被告人西岡がフイルム罐の存在に気付いた事実は証拠上これを認め難いから、右論旨についての判断を省略する。

(四)  「被告人西岡は大西停留所に停車した際覆いのない蓄電池の置いてある自席背後へ手廻品の置き換えられている気配を感じた」との点について。

右事実につき原判決の掲げる各証拠(第二事実の証拠説明(二))を綜合して判断すれば、被告人西岡が大西停留所停車の際覆いのない蓄電池の置いてある自席背後へフイルム罐が置き換えられていることはこれを知らなかつたとしても少くとも乗客が何か手廻品を置き換えている気配を感じた事実は必ずしもこれを肯認し得ないことはないけれども、原判決は被告人西岡が中筋停留所停車の際乗客がフイルム罐一縛りを持込んでいるのに気付いたことを前提として右置き換えの気配を感じたことを認定しその状況の下における注意義務を判示しているものであるところ、当裁判所としては前叙の如く被告人西岡が中筋停留所においてフイルム罐の存在に気付いた事実は証拠上これを肯認し難く、後記の如く原判決と一部分異る事実認定をなすから、この点についての詳細な判断を省略する。

(五)  「被告人西岡は乗務中の車掌土田富市がフイルム所持者に対し火災防止に関する格別の注意を与えるのを聞いていなかつた」との点について。

原判決の右認定部分も被告人西岡が車内にフイルム所持者が居ることを知つていたことを前提とするものであるところ、当裁判所は同被告人がフイルム罐の存在に気付いていた事実はこれを認定しないから、右の点についての判断を省略する。これを要するに被告人西岡亀盛に関する原判決認定事実(原判示第二事実)中同被告人が中筋停留所に停車し乗客数名が降車した際自席左後方に乗客が本件フイルム罐の中一縛りを持込んでいるのに気付いたとの部分並に右事実を前提として業務上の注意義務を認定している部分は認定を誤つて居り、事実誤認を主張する本論旨中右の点に関する部分は理由があると謂はなければならない。

而して右認定部分は被告人西岡に関する原判決認定事実中相当重要な部分を成しているから、右事実誤認は判決に影響を及ぼすものであり、原判決中被告人西岡に関する部分はこの点において破棄を免れない。仍て被告人谷美喜雄に関しては刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条第一項により原判決中同被告人に関する部分を破棄し、被告人西岡亀盛に関しては控訴趣意中爾余の論旨(業務上注意義務、過失責任に関するもの及び量刑不当等)に対する判断を省略し、同法第三百八十二条第三百九十七条第一項により原判決中同被告人に関する部分を破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において自判することとする。

被告人谷美喜雄の罪となるべき事実及びこれを認める証拠は原判決の示す通りである(原判決添付死亡者一覧表及び負傷者一覧表を含む)。

(被告人西岡亀盛の罪となるべき事実)

被告人西岡亀盛は昭和二十二年九月五日国鉄の自動車運転士となり同年十二月より伊予大洲自動車営業所野村町派出所に勤務し国鉄乗合自動車運転により乗客輸送の業務に従事していたものであるところ、昭和二十六年十一月二日の夜愛媛県東宇和郡野村町駅で同僚の運転士東政陽より同人が乗務する乗合自動車に備付の自動車用十二ボルト蓄電池一個(証第一号)の性能が減退し始動が困難となつたためこれを充電の目的で明朝大洲自動車営業所まで輸送せられたい旨の依頼を受けるやこれを承諾し、翌十一月三日愛媛二一二〇四号いすず二型乗合自動車に運転士として乗車し午前六時野村町駅を卯之町駅に向つて発車するに先立ち自席背後床上に前記蓄電池(十一ボルト以上の電圧があつた)が覆いのないまま積込まれていることを認めたが、同被告人は蓄電池はその端子(ターミナル)に金属が触れれば短絡(シヨート)を生じ電気的発熱を生ずることを知つて居り且つ当時伊予大洲自動車営業所長より事故警報等により蓄電池は木箱等で覆いを設け危険のない様にして輸送しなければならない旨を示達されていたのであるから、かかる場合乗客輸送の任に当る乗合自動車乗務員としては車内の安全のため右蓄電池につき端子が外部に露出せぬよう覆いをする等の危険防止措置を車掌をしてなさしめるか又は自らなすか或はかかる覆いのない蓄電池の輸送を拒否するか等何等かの措置を採るべきであつたに拘らずこれを怠り、また若し右蓄電池を覆いのないまま輸送するとせば乗客が持込荷物等を接触させる虞れのない安全な箇所にこれを置いておくべきであるに拘らずその場所についても考慮を払うことを怠り(当日は文化の日であり且つ附近町村が秋祭のため朝から車内が混雑することは予想されていた)、運転士席背後の乗客が持込荷物を置く可能性の多い場所(前記乗合自動車の座席は所謂ロマンスシートである)に前記覆いのない蓄電池を置いたまま野村町駅を発車した。而して右乗合自動車は卯之町駅に至り同駅より折返して野村町駅に帰り、同駅よりは多数の乗客が乗車し(前記自動車の乗車定員は四十二名のところ乗客は約六十名に達す)且つ大小多数の手廻品が積み込まれたため所謂身動きも困難な状態となつて午前八時五分大洲町に向つて同駅を発車し、中筋、畑ケ谷等の停留所を経て同県同郡貝吹村大西停留所に停車した際運転士席背後に積み重ねてあつた乗客二宮卯吉の持込荷物である座蒲団十枚の包が取り降されたため、野村町駅より映写助手沖田幸雄と共に映画フイルム罐二縛りを携帯して乗車していた相被告人谷美喜雄が右フイルム罐一縛り(おどろき一家八巻)を運転士席右後に置き換え更に前記覆いのない蓄電池の上に他のフイルム罐一縛り(東宝映画「男の花道」十巻一巻宛ブリキ罐に入れ無包装のままこれをまとめて荒縄で縛つたもの)を横倒しにして置いた結果同日午前八時二十五分頃同自動車が前記大西停留所から百数十米進行し同村大字中通川字大川原十号の一番地に差しかかつた際右蓄電池に接触していた右フイルム罐に短絡を生じその赤熱化と電気火花の発生により右罐内のフイルムに引火し瞬時にしてフイルムを燃焼して火焔とガスを同車内に充満させ同自動車の車体その他に延焼してこれを全焼させ因て乗客兵頭つな外二十九名(原判決添付第一表一乃至三十記載の通り)を同車内で即時焼死させ、更にその後数日中に野村町野村病院において車掌土田富市、乗客上甲シゲヲ及び谷満春を全身火傷により死亡するに至らしめると共に兵頭リヱ外十一名(原判決添付別表第二表一乃至十二記載の通り)に対し全治迄約一週間乃至四ケ月間位を要する顔面その他の火傷を夫々負わしめるに至つたものである。右事故は相被告人谷美喜雄が不注意にも蓄電池の置いてあることを知りながらその上にフイルム罐を載せた過失に因るものであると共に、被告人西岡亀盛が前記の如く乗合自動車乗務員として業務上尽すべき必要な注意を怠り漫然運転士席背後に覆いのない蓄電池を置いたまま乗客を輸送した過失に基因するものであり、加之覆いのない蓄電池を前記の如き箇所に置いてある以上同被告人は運転という重大な職責があるとはいえ少くとも停車時等においては乗客が右蓄電池に危険物を接近させない様車掌をして注意せしめるか又は車掌が右注意をなすことを怠つているときは車内の状況に応じて自ら乗客に注意を促し以て車内の危険防止に努むべきであるに拘らず卯之町駅より折返して野村町駅において車内が超満員となつた以後においても右の点につき何等の注意を払はなかつたため前記の如く乗客である相被告人谷をして危険物である映画フイルム罐を前記蓄電池の上に置かせることとなり惹いて多数の死傷者を生ぜしめるに至つたものである。

右事実は

一、被告人西岡亀盛の検察官に対する昭和二十六年十一月八日附供述調書

二、被告人西岡亀盛の検察事務官に対する第二回供述調書

三、被告人西岡亀盛の検察官に対する第三回供述調書

四、被告人西岡亀盛の履歴カード写(記録第九四五丁)

五、原審第三回公判調書中証人東政陽の供述記載

六、原審第二回公判調書中証人末光政義の供述記載

七、原審の証人三瀬筆太郎、同宇都宮義雄に対する各尋問調書

八、原審第三回公判調書中証人小泉正広の供述記載

九、伊予大洲自動車営業所長作成に係る「フイルム及びバツテリーの輸送につき乗務員に達示した事項」と題する報告書(記録第五九四丁)

十、火災事故警報(証第五号)

十一、原審第五回公判調書中証人岡村進の供述記載の一部

十二、原審の証人二宮卯吉、同芝田武雄に対する各尋問調書

十三、相被告人谷美喜雄の検察官に対する第一回(昭和二十六年十一月六日附)及び第二回各供述調書

十四、裁判官の証人沖田幸雄に対する尋問調書

十五、原審の証人松本高(但し第一回尋問の分)、同森ツトメ、同谷千代子に対する各尋問調書

十六、検察官作成の実況見分調書(添付写真を含む)

十七、原審の検証調書(但し昭和二十七年三月十日実施の分)

十八、鑑定人警察技官森岱義、同松木新一、同鴻海左九三共同作成に係る鑑定書

十九、原審の鑑定人森岱義に対する尋問調書及び同鑑定人作成の鑑定書

二十、押収に係る十二ボルト蓄電池一個(証第一号)及び映画フイルム罐三十六個(証第二号の一、二)の各存在

二十一、医師菊山英一作成の兵頭つな外二十九名(原判決添付死亡者一覧表一乃至三十)に対する各死体検案書(三十通)

二十二、医師八木田正夫作成の土田富市に対する死亡診断書

二十三、医師小田切允作成の上甲シゲヲ、谷満春に対する各死亡診断書

二十四、医師小田切允作成の兵頭リヱ外十一名(原判決添付負傷者一覧表一乃至十二)に対する各診断書(十二通)

を綜合してこれを認める。

尚被告人西岡が右判示の如く業務上必要な注意を怠つた点につき附言するに、凡そ乗合自動車の運転士は自動車の運転を主たる職務として居り運転の安全、確実、迅速に先ずその注意を傾注すべきであるとはいえ、乗合自動車は多数の貴重な人命を乗せてこれを輸送するものであるから乗客の安全輸送に影響することについては運転行為以外の点についても自動車乗務員としての健全な良識に従い危険防止のため万全の注意をなす義務があるものと謂わなければならない。もとより車内の安全殊に乗客及び荷物に関することは車掌が第一次的の責任者であろうけれども、車掌一人ではその職務を処理し切れない場合、車掌がその任務を怠つている場合等においてはその具体的状況に応じ運転の安全に支障を来さぬ限度において運転士が車掌と協力し又は車掌を補佐し或は車掌に代つて車内の危険防止につき臨機適当の措置を採らなければならないものと考える。運転士は専ら自動車の運転行為のみに専念し乗客及び荷物その他車内の安全につき全然注意を払う必要がないとの弁護人所論及びこれと符節を合する国鉄職員の各証言は当裁判所の到底首肯し難いところである(乗合自動車は通常その乗務員は運転士と車掌各一名のみであり、運転士席も乗客の乗つている所と完全には遮断されて居らず、汽車の機関士或は国鉄電車の運転士等と同一に論ずることはできない)。四国地方自動車事務所長達甲第二七号、自動車営業所従事員職制及び服務規程(証第六号)第一条が自動車営業所従事員の職名と職種とを分け自動車運転士の職務として「自動車の運転注油及び手当」、自動車車掌の職務として「旅客の取扱及び荷物の受託輸送並に引渡」を夫々規定しているのは、運転士及び車掌の一応の職務分担を定めたに過ぎず、運転士もまた自動車乗務員として乗客の安全輸送のため運転行為以外の点についても細心の注意をなす業務上の義務があること原判決も説示する通りである(昭和二十三年五月七日運輸省令第十一号自動車運送事業運輸規程第二条参照)。今本件の場合につき考察するに被告人西岡は国鉄乗合自動車の運転士であり自動車の運転を主たる職務としている者であること云う迄もないけれども、判示の如く同僚の東運転士より蓄電池の輸送を依頼せられてこれを承諾し昭和二十六年十一月三日早朝野村町駅発車に先立ち自己の運転する乗合自動車の自席背後床上に蓄電池が覆いのないまま積込まれているのを認めたのであるから前記挙示の証拠(殊に一、四及び八乃至十)により認め得られる如く蓄電池が危険物であることを知つていた同被告人としては危険防止のため判示の如き何等かの措置を採るべきであつたことは乗合自動車の乗務員として当然の義務であり、これを怠り漫然そのまま自動車を運行せしめ、而も車内が超満員となつた以後においても危険防止につき何等の措置を採つていない以上、被告人西岡は業務上必要な注意を怠つたものと断じなければならない。弁護人は被告人西岡は本件蓄電池を車掌に引継いだものであり一旦車掌に引継いだ以上は車掌の責任であつて運転士たる同被告人は運転のみに専念して居れば可なりと主張しているけれども、仮に被告人西岡が本件蓄電池を何等かの形で車掌に引継いだとしても(当該車掌が本件事故に因り死亡しているため果して右引継が行われたか否かは本件証拠上幾分疑わしい)、同被告人としては車掌が危険防止の措置を採つたか否かを確めるべきであり、若し車掌が何等の措置も講じなければ自ら何等かの措置を採るか又は車掌に対し何等かの措置を採る様注意を促す義務があるものと謂わなければならない。然るに本件の場合車掌は本件蓄電池につき何等の危険防止措置を採つていないこと明かであり、本件蓄電池を覆いのないままで輸送した以上被告人西岡は業務上必要な注意を尽したものとはいえない。これを要するに本件は乗合自動車の運転士が同僚より蓄電池の輸送を依頼せられこれを引受けて輸送した特殊な場合であつて、その過失の有無を判定するに際しては運転士本来の注意義務のみを以てこれを論ずることはできず、乗客の安全輸送を職責とする乗合自動車乗務員としての注意義務の観点より事を判断しなければならない。

尚弁護人は覆いのないバツテリーを車内に積込ましめたことに被告人西岡に責むべき点があるとしても右は本件事故との間に相当因果関係がないと主張する。しかし乗合自動車においては乗客が如何なる危険物を持込むかも予測できず、本件の場合の如く蓄電池を覆いのないまま車内判示の如き箇所に放置した場合乗客が不注意に金属製の物を蓄電池に接触させる虞れがあることはいう迄もなく、このことは注意すれば認識し得るところであつて、相被告人谷が映画フイルム罐を本件蓄電池の上に載せたため本件事故が発生した以上被告人西岡の判示過失と本件事故との間に刑法上因果関係がないとはいえない。

更に本件の如き場合において被告人西岡に対し判示の如き注意義務を要求することが酷に失するや否やの点につき一言するに、同被告人の蓄電池に関する知識は左程高度のものでなかつたとしても判示の如く蓄電池の端子に金属が触れれば短絡を生じ電気的発熱を生ずる程度の知識を有していたことは同被告人も認めているところである。前記証拠に掲げた証人小泉正広、同東政陽の原審公判廷における各証言、伊予大洲自動車営業所長作成の報告書火災事故警報等を綜合すれば、被告人西岡は伊予大洲自動車営業所長より乗務員宛達示された事故警報その他の注意事項により事故発生防止のため蓄電池は木箱等で覆いを設け危険のない様にして輸送する必要があることを知つていたこと明かであり、また本件蓄電池に電気が蓄蔵されていないと認められるような状況は全然存しなかつたのであるから、同被告人が同僚の運転士よりバツテリーの輸送を依頼せられてこれを輸送するに際し判示の如き注意をなすことが必ずしも期待できないことであるとは見られない。これを要するに被告人西岡は判示の如き業務上必要な注意をなすことを怠つたため乗客である相被告人谷が不注意にもフイルム罐を本件蓄電池の上に載せた過失と相俟つて本件の如き悲惨な死傷事故を生ぜしめるに至つたものであり、被告人西岡は業務上過失致死傷の罪責を免れることはできない。

尚本件起訴状に記載された公訴事実第二には当裁判所の認定する被告人西岡の業務上過失を具体的に記載していないけれども、当裁判所の認定する事実は本件訴因中に当然包含されているものと解する(検察官の冒頭陳述参照)。

仍て法律に照すと被告人谷美喜雄の原判示第一の所為及び被告人西岡亀盛の判示所為はいずれも刑法第二百十一条前段に該当するところ、右は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段第十条により夫々兵頭つなに対する業務上過失致死罪の刑に従い所定刑中各禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で諸般の情状を慎重に考慮した上被告人両名を各禁錮十月に処し、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により被告人両名をして原審及び当審における訴訟費用を主文掲記の如く夫々負担させることとする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

被告人谷の弁護人玉井安美控訴趣意

第一、原判決は其理由第一に於て-前略同自動車が東宇和郡貝吹村大西停留所に停車した際運転士席背後に積み重ねてあつた乗客の手廻品である座布団十枚包みが取降されたので、被告人谷は其跡えフイルム罐を片寄せようとして先づ前記フイルム「おどろき一家」八巻を運転士席右後方に置いたところ、同席背後床上に覆いのない輸送中の自動車十二ボルト蓄電池一個が置かれていることに気付いた-(中略)に拘らずこれを怠り漫然前記「男の花道」十巻一縛りを横倒しにして右蓄電池(十一ボルト以上の電圧のあつたもの)の上に置いたため-(下略)として、本件過失致死傷を被告人谷の業務上過失と認定し其の証拠として「過失」の点に付いては

(四) 判示自動車が大西停留所に停車した際谷被告人が判示情況下で前記蓄電池の存在を知りながら前記フイルム罐一縛り「男の花道十巻」をその蓄電池の上に横倒しに置いたこと-中略-に就いては先ず被告人の公判廷外の自白(承認を含む)に関する検察官作成の被告人谷美喜雄の供述調書及び第二回供述調書の各記載を取上げて居る。原審に於て弁護人は右被告人の自白の任意性を争い該自白は強制又は説得の結果行はれたものであり、少くとも任意になされたものでない疑のあるものであるから証拠とする事が出来ない事を主張したに不拘原裁判所はこれを排斥して之を証拠としたのであるが、これは刑事訴訟法第三一九条第一項違反であるから控訴申立理由の第一とする。

然らば右被告人の自白に任意性無しとする理由如何といふに

一、被告人谷の検察官に対する供述中過失(蓄電池の存在を知りながらその上にフイルム罐を横倒しに置いたといふ点)に付ての自白は次の通りである。

供述調書中、前略大西停留所で運転手席の真後に置いてあつた座布団包を車から降したのでその辺りが空きましたから私は「驚き一家」の八巻を邪魔にならない場所へ置こうと思い運転手後の金棒を左手で掴んで右手で縄を持ち運転手席の右後の空いた処へ置きました。其処は荷物が置いてなく床が見えました、其の時運転手席背後の下に黒いバツテリーが置いてあるのに気付きました、そしてその端の方に新聞包の巻いた包がいくつももたせ掛ける様に置いてありましたそれは左側一番前の座席との間であります。私が八巻を置いて姿勢を元へもどすと丁度後の方から左前の方へ男の花道のフイルムを「ヨイシヨ」と云つて横にして出して来たので私はその一方の端を掴んで其の人と一緒に之を私は自分で定めて其の侭バツテリーの上へ置きました-中略-罐は一部新聞の上にもかかつて居つた様ですがバツテリーの上へすつぽり乗りました。附近の荷物には関係なく全くバツテリーの上へ乗せて仕舞つたのであります。

第二回供述

「私がバツテリーの上にフイルムを置いた時には多分バスは発車して居つた」と思います-バツテリーの電力を軽く考えたのが私の失敗です。

右供述に依つて、大西停留所で運転士席の真後に置いてあつた座布団包(註、これは野村駅で二宮卯吉が発車直前に持込んだ手廻品である)を車から降したので「その辺りが空きましたから」と有り其布団の積んであつた辺が空いた事は判るがそのため突如「其の時運転士真後の下に黒いバツテリーが置いてあるのに気付きました」と云ふ供述がどうして出たか甚だ疑問であつてにわかに信用が出来ない。右バスは野村駅を発車し一旦卯之町に到り引き返して野村駅に帰り午前八時五分同駅を発車し大洲へ向つたのであるが、右バツテリーの上にはたえず乗客の持込品が置かれバツテリーは其上部全体が蔽われて居たのであり、又大西停留所で取降された前記座布団十枚は右バツテリーの上に直接(ジカ)に置かれてあつたのではなく其下に雑多な物が置かれてあつたのである。

被告人谷の右供述調書にも「そして其の端の方に新聞包の巻いた包がいくつももたせ掛けた様に置いてありました」と記載されて居り、バツテリーは独立露見されていたのではない。

然らば野村駅から乗車し大西停留所に到る間の十数分バツテリーの置かれ在りし場所の直ぐ附近に終始立つて居つた被告人谷に於て大西停留所に到る間に於ては全然バツテリーを見て居らず(見えない状態)それが大西停留所に於て突如気付いたとするならば、バツテリーの真上に何物かがヂカ(直接)に置いてあつたのを何人かが取除いた事を必要とする道理である。然るに被告人谷の供述には何等その記載がない、又原判決摘示の全証拠によるもこの点の証明はない。

右検察官作成に係る被告人谷の供述調書は十一月六日作成されたものであるが、本件発生の当日たる十一月三日夜司法警察員末光晋の作成した同被告人第一回供述調書及同日同夜司法警察員古川侃作成第二回同被告人供述調書を入手閲覧した後、検察官村上惣一は十一月六日同被告人の第一回供述調書を作成して居るのである。従つて同検察官は被告人谷が右警察員両名に対し自白殊にバツテリーの存在に気付いたといふ自白を行つた事実を予め承知して居りこれを整理補強し以つて起訴の出来る様に仕上げ又公判に備えて完璧を期するためには、種々なる強制的訊問追及或は説得が行われたであらう事は今更茲に特筆の要がないが刑事訴訟の立前に於て司法警察員と検察官は各々独立して犯罪捜査を行ひ得るのであるが本件捜査の如く司法警察員と検察官が同時に並行して行ふ場合に於ては被告人谷の如き法律素養智識なき者は往々にして司法警察員に供述せる事は検察官に対しても其の通りに供述せねば通らぬものと誤解する事がありこれは決して無理からぬ事であるから、かかる場合前に取調べた司法警察員に対する被告人の供述が其任意性を疑ふに足るべき場合は其後に取調べた検察官に対する被告人の供述にも其任意にされたものでない疑がありうるのである。依而被告人谷に対する右両司法警察員の供述調書(第一、二、三回に付いて)の被告人の自白(バツテリーの存在に気付いたに不拘其の上にフイルム罐を置いた過失に関する)を検討し其任意性を疑ふに足る所以を証明する。

司法警察員末光部長の作成した第一回供述調書中に

「バスが中筋村字荷刺停留所に停つた時乗客が少し降りましたので場所が空きましたので私は持つていたフイルムを運転台の後側運転者の真後になる場所で運転台鉄棒で区切つてある所にバツテリーが一個置いてありましたがそのバツテリーの横側に並べて置きました沖田君も同様に私より先に其場所にフイルムを置きましたとの記載が有り被告人谷は中筋停留所(荷刺停留所とあるのは中筋停留所の通称)に於て既にバツテリーの存在に気付いておつた事になる(中筋停留所は大西停留所の二つ手前)又フイルム罐はバツテリーの横側に二つ共並べて置かれ其の上に一つを置いた事にはならない。

然るに右第一回供述の直後に古川警部補によつて作成された同日付第二回供述調書に於ては-六-前略「其のまま大西駅に行つたのでありますが-中略-男の花道は運転手の後の蓋のないバツテリーの横に巾一尺位、長さ一尺位に包んだ新聞紙が丁度バツテリーの高さに積んであるのがありましたのでその新聞紙の包の上に横にしてうつたて(載せる意)ましたら間もなく其の上にお客さんが風呂敷やリユツクサツク等をうつたてた様な訳でありますが別に気にもとがめずに居りました-中略-十一、フイルム罐は前に言ひました様にバツテリーの横にバツテリーの高さ位新聞紙の包んだのを置いたその上に置いたので発車してから後車が揺れる事にまかせてその位置が変つてバツテリーにひつついた(接触)ものと思ひます下略

との供述に変つて居る。

即ち被告人がバツテリーの存在に気付いたのは大西停留所であつた事、バツテリーは無蓋であつた事、其バツテリーの横に巾一尺位、長さ一尺位の新聞包が丁度バツテリーの高さに積んであり其新聞紙包の上にフイルム罐を横にしてうつたてた(載せた)事になつている。

同一日に行われた事件発生当夜の第一回供述と第二回供述とが以上の如く非常に其重要点(自白)に於て変つて居るがこれは第一回供述調書の作成者たる末光部長は本件事故発生現場を検分して居らないのに、第二回供述調書の作成者古川警部補は現場や焼けたバス内部の検証を行い(検証調書も作成)バツテリーに蓋が無かつた事、バツテリーの上にフイルム罐が横に倒れかかつて焼けて居つた事、バツテリーの附近にフイルム罐が散乱して居つた事を現認して居るので、被告人谷の取調べに当り同被告人を誘導し、バツテリーには蓋が無かつた事を承認せしめたものである。又フイルム罐はバツテリーの横に並べて置いたのではなく、バツテリーの横にバツテリーの高さ位に置かれありし新聞紙の上に置いた処発車後其車の動揺によりそれがバツテリーに倒れかかつて接触したものと説明的供述を行はしめて居るのであつて、被告人が其記憶を呼び起し任意に供述したものでなく多分に取調官たる古川警部補の現場検分現認による状況知識が被告人に注入された結果被告人をして自白せしめたものであつて、弁護人は到底右の自白を承認しがたい。

更に被告人谷に対しては右両司法警察員から盛に道義的説得が行はれて居る。即ち被告人谷は初めバツテリーの存在には全然気付かざりし事を極力主張したるに右両取調官は「君がフイルム罐を持込みさへしなかつたならバツテリーがあつても火災は起きなかつたのである。多数の死傷者に対して君が否認(バツテリーの存在に関し気付いた事の)すると死んだ人の霊は浮かばれない、自白した方が君も気が楽になる」と盛に説得したため当日事件発生直後の事とて被告人自身は身をもつて難を免れたとは云え其の子は焼死し、妻は大焼傷にて生命危篤の状態にあり加之多数の死傷者を出した現実に対する道徳的自責に茫然自失の状態にあつた際とて取調官の誘導するままに自白したのであつて、結局右被告人の自白(承認を含む)は強制による自白とは云えなくともその任意性を疑ふに足るものである。右の疑いは被告人に対する司法警察員古川警部補作成第三回供述調書の記載を見れば益々濃厚となる、即ち右第三回供述調書は十一月十一日に作成されたものであるが其前の十一月六日に検察官が供述調書を作成している、其内容中被告人の自白(バツテリーの存在に気付いた事及びフイルム罐をバツテリーの上に置いたといふ点)に付いて第二回供述調書の自白と非常に相違する点があるのでこれを検察官作成の調書の自白と符合せしむるために作成されたものとしか思はれない、即ち右(二)に於て此の前の御調があつた時に嘘を云ふて居まりした処がありますのでその事に就て話します。(三)前略どわすれして(忘却の意)いたので此の前に云はなかつたので嘘を云つた様な事になつて済みませんとの記載があり、いかに被告人の同警察員に対する供述が其任意性を疑ふに足るものであるかを雄弁に物語つて居る。

以上要するに二回に亘つて司法警察員に其誘導と説得等による自白を強制されて供述した後に行はれた検察官の取調は仮令検事の強制の事実なしとするも心理的に強制され、司法警察員に対する自白の内容を予め知つて居る検事の訊問と理詰追及に逢つては到底被告人谷の如き意思薄弱にして法律素養なき者は検事の追込まんとする穴に追込まれ、手を挙げざるを得ないのである。要するに被告人谷の右自白は刑事訴訟法第三一九条第一項の「其の他任意になされたものでない疑のある自白」に該当するものであつて、これを証拠とする事が出来ないものであるに不拘これを証拠とした原判決は此の点に於て破棄さるべきものと思料する。猶被告人及弁護人は右の事実を原審に於て主張し訴訟記録に現われて居る処である。原審は右主張に対し何等判断を下していない。これは弁護人に於てその立証のための証拠調べを行はなかつたせいもあらうか兎も角失当である。

第二、第一の刑事訴訟法第三一九条第一項違反の主張理由なしとするも原判決には重大なる事実の誤認があり其誤認が判決に影響を及ぼす事明かであるから原判決に此の点に於て破棄さるべきである。

尤も右事実に誤認ありとするのは検察官作成の供述調書に記載された自白に関するものでなく、原判決が証拠とした

一、証人芝田武雄、同二宮卯吉に対する公判準備の証人訊問調書の各記載

二、裁判官の証人沖田幸雄に対する証人訊問調書の記載

に関するものであるから、若し故意と同様過失に付ても其主観的条件に付ては被告人の自白によつてのみこれを認めうべく之に対する補強証拠を必要としないといふ判例学説が正当であり是を本件に付て言えば、被告人谷の業務上過失たる「判示電池の存在を知り乍ら(気付き乍ら)漫然判示フイルム罐を横倒しにして蓄電池の上に置いた」事に付ては、被告人谷の検察官に対する供述調書及び第二回供述調書の各記載に依る自白(承認を含む)に依つてのみこれを認定して差支なく他にこれに対する補強証拠を必要としないとするを正当とするならば以下の論議は無用に帰する訳であるが、弁護人は「主観的要件について迄補強証拠を必要とするに於ては事実上犯罪の証明が非常に困難となるといふ実際的理由に基く」判例や学説には少くとも本件の如き過失犯に限り左袒し難く、又原判決が前記判例学説に従つたと否とを問はず、被告人の前記自白に依つてのみ被告人の過失を認定しないで他の証人の供述をも綜合認定し結局補強証拠として居るのであるから、以下右各証人の供述が補強証拠能力ありや否やを検討する

一、証人芝田武雄、同二宮卯吉の各証言は要するに「自動車が大西停留所に停車した際運転士席背後に積み重ねてあつた乗客の手廻品である座布団拾枚包みが取降された」事実を認めうる丈であつて、被告人谷が前記蓄電池の在存を知り乍ら前記フイルム罐縛りをその上に横倒しに置いたこと迄の証明とはならない。

二、次に裁判官の証人沖田幸雄に対する証人尋問調書の記載に依つては、「バスが大西停留所に着いた時乗客の一人が降りたのですが其為に降りない人も降りる程バスはギツシリこんで居つた」事「その時運転台の後方にあつた座布団包を皆が順送りみたいにしておろしました」事「私が前の方に行こうとしたのでありますが其の時谷さんが紙で包んでない分男の花道十巻を動かそうとして居るので私も手伝つたのであります。谷さんが右手でフイルムの縄をさげる様にしてあつた処を持ち私は横の処をもつたのでありますがそのフイルムは運転台のうしろ側に置きました」事を認めうるに止り、これ又被告人谷が判示電池の存在を知り乍らその上にフイルム罐を横倒しに置いたといふ証明にはならない。

追記 沖田幸雄の検察官作成供述調書の記載は原判決が証拠として採用して居ないが、その第一回(十一月八日付)調書に……フイルムの下には一尺位の高さの何かゞ置いてあつたものと思ひます。然し何が其処に置いてあつたか見えなかつたので存じません。同第二回供述調書(十一月十三日)に……そしてその下に高さ一尺位の何かゞあつたのですが其の時は何であつたか気付かず燃へてから後、谷さんからバツテリーがあつた事を聞いたこともこの前と同じですとの記載あり同人はフイルム罐を積んだ下に高さ一尺位の何物かゞあつたものと思ふが、其の時見なかつたから判らぬと極めてアイマイなる供述をしている点御参照乞ふ。

被告人谷と協力してフイルム罐を積み替へたといふ沖田に於て見えなかつたといふバツテリーが被告人谷にのみ見える訳もなくかかる状況にない。

三、自白の補強証拠は自白の真実性を保証し得るものであれば足りるとは判例の示す処であるが本件被告人谷の自白「バツテリーの存在に気付いた事、気付き乍ら其の上にフイルム罐を横倒しに置いたといふ過失の承認」に関する自白の真実性-「過失を推断しうべき事実の証明」は判示の前記各証人の供述調書の記載や実況見分調書並に鑑定書を以つてして、果して保証し得られるであらうか、又果して原判決摘示の各証拠を綜合して被告人の過失を認定しうるや、被告人の自白が架空に非ずと断定するに足るや、弁護人は甚だ疑念に堪へない。

第三、刑事訴訟法第二二七条に基く検察官の請求に依り行はれた裁判官の証人沖田幸雄に対する証人尋問調書の記載は、本件に於て証拠能力なき事に就いて。

一、原判決は右証人訊問調書の記載を他の証拠と共に採用して被告人の過失を認定しているが(而も同記載は最重要なる資料をなしている)右証人沖田は刑事訴訟法第二二七条第一項の規定による「検察官検察事務官又は司法警察員の取調に際して任意の供述をした者」に該当するや、否やに付き原審は何等判断を行はず、刑事訴訟法三二一条第一項第一号の「又は供述者が公判準備若しくは公判期日において前の供述と異つた供述をしたとき」に該当する事の説示も行はずして、これを証拠として居つて違法である。

右沖田幸雄は昭和二十六年十一月八日野村区検察庁に於て検事村上惣一から同人に対する業務上過失致死傷被疑事件に付き被疑者として取調べを受けた者であつて、同法第二二三条第一項の規定により同検事の取調べを受けた者ではない、此の事は原審記録の右検事作成供述調書の記載に依つて明白である。

然るに右検事は同法二二三条第一項の規定により「被疑者以外の者として任意出頭を求め其の取調べに際して任意の供述-検察官訊問調書-をした沖田幸雄が、公判期日においては圧迫を受け前にした供述と異る供述をする虞れがあり且つその者の供述が犯罪の証明に欠くことが出来ないもの」として同法第二二七条第一項に基く第一回公判期日前の裁判官の証人訊問を請求したのであつて、此の請求自体が違法であり、これに応じて行はれた、十一月十八日の判事荻田健治郎の証人沖田幸雄の訊問調書はこれ又違法に作成されたものであり従つて刑事訴訟法第三二一条第一項第一号の裁判官の面前に於ける供述を録取した書面として証拠とする事は許されない。依而これを証拠とした原判決は同法第三七九条の訴訟手続に法令違反があつて、其の違反が判決に影響を及ぼす事洵に明白であるから破棄さるべきである。

第四、刑の量定不当に付いて。

本件事故発生の原因は電圧約十一ボルト以上の蓄電池を乗合自動車内に無蓋(裸)で積載輸送した事にある、被告人谷は従来屡々フイルム罐をバスに持込み乗車した事があるが、バス内に前記の如き蓄電池が積込んであるのに遭遇した事は全然なく、かかる危険物の存在に付ては全然予期せざりし処である、而も被告人谷はフイルム罐二縛りに付き規定の持込料を車掌に支払つて居り其指図せる場所へ其協力に依つてフイルム罐を積込み又は置換へたのである。又本件事故発生当日バスが超満員であり而も被告人谷は野村駅に於て既に満員以上のバスに乗車し、而も極めて短距離短時間の乗客である(野村坂石間約一里、二十分間)従つて、可燃性に富むフイルム罐を持込んで居るとは云へこれに付て万全を期して其置場所を選定する自由を持たない状態にあつた被告人谷が大西停留所でフイルム罐の置場所を換へたのも車中の混雑の為めであり、他の乗客に少しでも楽をさそうといふ好意と乗客道徳によつたものである、本件バツテリーが積込みありし事この上にフイルム罐を置いたとしてもそれは全くの偶然であつて、怠慢でも義務違反でもなく重大なる奇禍といふの外はない。

本件事故による被害が極めて重大であり大悲惨事であつた事に付ては、弁護人も今日に至るも真に遺憾に堪へない処であるが被害莫大なりしとて直ちに其全責を被告人等にのみ科し一年二月の禁錮の実刑を科した原判決は量定不当である、被告人自身は無傷で難を免れたけれども、其の一子は焼死し、妻は瀕死の重傷を負ひ入院半歳を越え生命は拾ひ止めしも終生不具者である、世論も被告人谷や相被告人西岡に同情こそすれ、其の厳罰を希望してはいない。

依而被告人谷に対し有罪の判決をなすとしても相当期間刑の執行を猶予すべきものであつたに不拘事此処に出でざりし原判決は刑の量定不当と思料する。

被告人西岡の弁護人寺田熊雄控訴趣意

本件控訴の趣意は、「原判決を破毀する、本件を松山地方裁判所に差戻す」又は「原判決を破毀する、被告人は無罪」の御判決を求めるに在る。以下その理由を述べる。

第一、原判決には採証の法則に違反した違法がある。

原審は、被告人の犯した罪となるべき事実として原判決理由第二の事実を認め、その証拠として

(一) 被告人が判示蓄電池の輸送を依頼せられ、判示日時に判示自動車の運転士として野村町駅を出発するに当り、覆いのない右蓄電池が判示場所に置かれているのを認めたが、何等の措置を講ずることなくそのまま放置し、満員の乗客をのせて卯之町から引返して野村町を出発したことに付ては、原判決理由第一の事実の証拠説明中(三)に列記した各証拠を掲げ

(二) 被告人が中筋停留所で判示フイルム罐一縛りが車内に持込まれているのに気付き、又大西停留所では覆いのない判示蓄電池のある自席背後に手廻品の置き換えられている気配を感じ、しかも車掌がフイルム所持者に注意を与えているのを聞いていないにも拘らず車掌若くはフイルム所持者に何等の注意も与えず、又その他何等の措置を講ずることなく右停留所を発車したことに付ては、

一、検察官作成の被告人の第三回並びに第四回供述調書の各記載

二、検察官事務取扱検察事務官作成の被告人の第二回供述調書の記載

三、原判示第一事実の証拠説明中(二)に列記した各証拠

四、原判示第一事実の証拠説明中(四)の一乃至四の各証拠

五、当裁判所が昭和二十七年七月九日公判準備で実施した検証調書の記載

を掲げている。

右一及び二に掲げられた検察官及び検察事務官に対する被告人供述調書(以下単に検察官調書又は検察事務官調書と云う)は孰れも、弁護人が強制誘導に因り任意性なき供述を録取せるものとしてこれを証拠とすることに強く反対したところのものである。この点に付ては、原審第四回公判調書(以下凡て「原審」を省略する)中、右各調書に付

「寺田弁護人は別項記載の理由により不同意」

と記載あり、別項に「寺田弁護人の被告人西岡亀盛の供述調書に対する不同意の理由」として

「暴行脅迫による自白ではないが、被告人が調べを受けた当時には被告人は相当精神状態が興奮しており犠牲者のことを持出して被告人に心理的圧迫を加えて供述を誘導した疑いが多分に在り且つ各調書の供述内容に矛盾があり任意性がないと思料する」

の供述記載がある。右の記載は固より要旨を摘記したもので必ずしも当時の弁護人の陳述を十二分に叙述してはいないが強制誘導による任意性なき供述と主張せる論旨は略これに現われている。

これに対し、原審は検察官の意見を求め、検察官の「心理的圧迫とか精神的圧迫これに基く誘導強制と云うようなものは刑訴法第三百十九条の任意性を欠く自白には該当しないから任意性あることの立証すらなす必要を認めない」旨の意見を聴くや、これに付、直ちに右各供述調書に付証拠調をなし証拠として受理したのである(前回公判調書中同旨の記載)。

然し乍ら、刑訴法第三百二十二条は「被告人の供述を録取せる書面で被告人の署名押印あるものはその供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる」こと、及び「被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面はその自白であると否とを問わず、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑いがあると認めるときは、これを証拠とすることができない」ことを規定し、第三百二十五条は「第三百二十二条の規定により証拠とすることができる書面であつても、あらかじめ、その書面に記載された供述が任意にされたものかどうかを調査した後でなければ証拠とすることができない」旨を定めている。

ところが原審は、検察官が任意性に付て立証の必要だにないと強引なる意見の開陳をなすや、これを承認し、証拠調を終結するに至る迄、些かもかかる調査をなさなかつたのである。検察官は、心理的圧迫や精神的圧迫及びこれに基く誘導強制の如きは、任意性の欠缺に関連なしと云うが、然し本件の如き夢想だにせざりし大惨事が一瞬にして惹起せられ写真を見てすら目を蔽わざるを得ない惨状を見せつけられた被告人がその事故に関係すること最も深き犯人として逮捕せられた場合、意気銷沈し懊悩し興奮することは経験則上も肯定せられる。その際被告人の弁解を聞くや嘘をついては死者に申訳ないぞと心理的圧迫を加えて弁明する勇気を挫き、以て犯罪捜査官が自己の欲するところを肯定せしめつつ供述を誘導するにおいては、その供述が任意性を欠くに至ることは疑うに足りるものと云わざるを得ない。刑訴法第三百二十二条によつて準用せられる第三百十九条は、憲法第三十八条第二項に一歩を進め、強制拷問若くは脅迫による自白、不当に長く拘禁された後の自白の外、「その他任意にされたものでない疑いのある自白」に付ても亦証拠能力を奪うのである。従つて検察官の云う如く、暴行、脅迫だになければ任意性ありと云う如き単純なる解釈を以て律すべきでないことは明かである。右の如く、検察官は立証を惜み、原審亦些かの調査をなさざるに比し、弁護人は、自己の主張に付立証責任がないことを知り乍らも、逆にこの間の消息を立証せんとした。第六回公判調書中証人古田正一の供述記載はその一半の資料を提供する。即ちこの供述記載によつて本件供述調書の作成せられつつある期間被告人が全く外部と遮断せられ、兄弟や同僚との僅か一分間の面会だに許されなかつたことが看取せられ、従つてその期間中被告人に与えられる情報や意見は全く捜査官憲の側のものであつたこと、意気銷沈せる被告人を勇気づけ、自己を弁解し、その主張をどこ迄も貫けよと励ます如き声は全く被告人の耳朶を打たなかつたことが窺われるのである。かかる環境に在る被告人が、それ丈でも捜査官憲の意の侭に動かされ易いことは容易に想像せられるところである。

次に、第七回公判調書に記載せられる被告人の供述を見るのに警察署に留置せられ、被告人が事故当時原審相被告人谷(以下単に被告人谷と云う)を見たこともないにも拘らず、再三の取調に根負けしてそのことを主張しきれなかつたことが看取せられる。この事実が重要であるのは第一回の検察官調書が十一月八日に作成せられ、その第四項中「それから間もなく発車しましたがその一寸前に私の左後の柱を持つて立つている谷さんの姿を見ましたが別に話はしませんでした」との供述記載があり、この自供が基礎となり、十一月十一日の司法警察員に対する第三回供述調書(第四項)において、被告人が「フイルム罐を谷の傍に見かけた」旨の供述記載となつたことからも断定しうる。尤もその後同日の夜に作成せられた検察事務官調書(第三項)では、「谷をフイルム罐の附近に見かけた」旨順序が逆になつている。かくの如く、一つの無理な調べが次々に無理を重ねて行く結果になることを思へば単純な一事項に付てなされた自供の強制も、他の自供の強制を意味するものである。この点に付、第七回公判において、弁護人は被告人谷に対し、「被告人は事故が起きる迄西岡亀盛を知つていましたか」と尋問したのに対し、谷は「知りませんでした」と答えた。その時裁判長は「エエ名前は知らないだろうが顔は知つていたのだろう、何回もバスに乗つていたのだから」と介入尋問をせられたものである。その際、弁護人は背筋に水を浴せられたように「ひやり」としたものを感じた。

そして誘導尋問として異議を云うべきや否やを躊躇する内、被告人谷は裁判長の顔を窺いつつ「そうです」と答えた。被告人は裁判長の欲するところに極めて敏感である。そして自分の利害に関係がないときであるならば一層自己に対し生殺与奪の権を握る者に迎合する傾向を持つ。この介入尋問以後弁護人の気持も若干乱れるし、被告人谷も「被告人に何時も出会つていた」と迄極言するに至つた。これが事実でないことは次節において詳説するが、かような場合は、公判調書において、尋問の在り方をそのままに記載せられることが望ましい。実は公判終了後弁護人は立会の書記官に対し、特にその旨を要望したところ、書記官も「勿論です」と答えられたのであつた。然し第七回公判調書には弁護人が「被告人は事故が起きる迄西岡亀盛を知つていましたか」と尋ねたのに対し「顔丈は知つていましたが名前は知りませんでした」と答えた旨の記載になつている。それ迄にも、こうした調書の不正確や間違いがあり、その都度弁護人が異議を申出でその殆んどは採用せられて来た。然しこの最後の調書は裁判官が判決を起案せられるために手許に持つて居られた関係上謄写が遅れ、異議申立期間が経過して了つた。

次に「フイルム罐を見た」か否かの点についても同じく第七回公判調書中弁護人の「検察官に対する第二回供述調書ではフイルム罐を見た旨を述べているが本当に見たのかどうか」と云う趣旨の問に対し「実際はフイルム罐を見て居りませんし、「警察で取調を受けましたときに図面を見せられましてフイルム罐がここにあつたんだが見えなかつたかと問われたのでありました。その時私は非常に興奮していました関係上野村駅から中筋駅迄の間には駅がないと思いましたので中筋駅の辺で見たように述べたのであります」との供述記載があり、運転手たる被告人が、野村町から中筋駅に至る迄に在る「床滝」駅を忘却していた程興奮していたことが窺われる。

次に被告人が、警察官及び検察官に対する供述調書の内容を極めて部分的にしか記憶していない事実からも被告人の興奮状態が推知せられるのである。この点、弁護人が被告人に対して被告人自身の供述調書を読み聞かせその一つ一つに付てどうしてこう云う供述をしたのかと聞いて見ても殆ど当時のことを記憶しておらず、こんなことは供述したようには思はないと云うのである。第七回公判廷における尋問の際も同様で、弁護人の問に対し、第四回の検察官調書第三項の供述記載に付ては「そのようなことを述べたようには思つて居りません」と答え、同じく第三回供述調書第三項の供述記載については、「そのように述べたかどうか覚えて居りません」と答え、同じく第一回供述調書第九項の供述記載についても、警察官に対する第一回供述調書第十七項の供述記載についても同様である。この司法警察員に対する第一回供述調書第十七項の供述記載は、非常に興味のあるもので、捜査当局の考方が最初は「被告人が客の持込む荷物に注意して居らねばならぬのにそれを怠つた」と云う点に過失を求めていたことを窺わせる。然るにその後荷物のことは車掌に責任があり、運転手には責任がないと云う鉄道部内の法規と慣行に気付き、その後は「フイルム罐の存在を知り乍ら放置した」と云う点の追究に方針を転換した如く思われるのである。

第七回公判調書中、検察官の被告人に対する尋問の跡を辿つて見ても、第一回検察官調書中第八項の供述記載についても、玉田(武田の誤記)事務官に調べられたと云う事実そのものも、第一回検察官調書中第三、四、五、六項の供述記載に付ても、被告人は悉くそれを記憶せぬ旨を供述するのである。

以上の点に関しては、各供述調書の読み聞けと被告人の署名拇印の在ることが問題になる。何となれば、裁判官の内には、被告人が読み聞けを受けて署名拇印している以上、一応任意性あるものと推定していいと云う意見を持つ人があるからである。

これに関し、被告人は第七回公判廷において弁護人が「被告人に対する警察や検察官が作つた調書の末尾に被告人の署名捺印があるか書いてあることを読んでくれましたか」と尋ねたのに対し、「読んで貰つたように思つて居りますが、その内容は興奮していましたので頭に入りませんでした」と答えて居り、この供述は極めて自然である。

検察官が犠牲者を想うて懊悩する被告人の心理に乗じ、殊更にその事実を被告人に押しつけて弁解する気力を挫いた事実を明かにする例としては、弁護人が「被告人の警察における第一回供述調書中第十四項によると、東から頼まれたバツテリーは車掌に引継いだ旨述べられているが検察官に対する供述調書にはこの点に関する供述がないがどうして検察官に対しこの点の供述をしなかつたのですか」との問に対し、「検事さんにも車掌に引継いだと話しました、すると検事さんは私に、犠牲になつた車掌に責任を負わしてすむのか」と云われましたので私は弁解する気力を失い、自分だけ責任を負いばよいと思つたのであります」と答えていること、第七回公判調書に記載せられている。この事実に関しては、検察官が被告人に対し、かなり執拗な反対尋問を試みているが、気の弱い被告人としては意外な位自説を固持し、検事が右の如く被告人の弁解を抑えた日時に付き、「それは野村検察庁でありまして丁度自動車局長が検察庁に見えた日でありました」と釈明し且つ「私は車掌に対しバツテリーがあるから注意してくれと云つたと述べたのは記憶しています」と供述している(前同公判調書)。而してこの点に関し公判廷において検察官がなした尋問ぶりは、それ以前の証人尋問の際における態度とは異り執拗さもなければ精彩をも欠いていたものであつた。尚被告人は「検事さんからガミガミ云われたように思つていますが当時私は興奮して居り犠牲者に対してすまない気持で一杯でありました」とも述べている。

警察官も亦、被告人に対し犠牲者のことを持出し、警察官の求めるところの供述を強いている。この点の消息も亦第七回公判調書中被告人の供述記載に現われる。即ち被告人は、弁護人の「調べに際して叱られたようなことはありませんでしたか」との問に対し「そのようなことはありませんでしたが調べの際に犠牲者の人に済まんことはないかと云つて説教されたことはありました、即ち、お前が本当のことを云わんと犠牲になつた人に対しすまんと思わんか判然と述べよとなど云うてこんこんと云われました」と答え、次に「どう云う場合に云われましたか」との問に対しては、「私の云うたことが問われた事と一致せんときに云われたように思つています」と述べ、「そのように云われた時にどんな気がしましたか」との問に対し「その時私は犠牲になつた方に対し気の毒だと思いました、そして私はどんなになつてもかまわん早く事件を片附けたいと云う気になりました、それで問われるままに答えたら早く事件が片附くものと思つていました」と答えている。捜査官としては、被告人の供述を信用せざる場合に、犠牲者のことを持出してその所謂良心に訴へ本当のことを云わせようと企てるのは当然だと主張するかも知れぬ。然し被告人の云うことが嘘だと断定すること自体が必ずしも常に真実に合しているとは云えないこと勿論である殊に、奸悪な犯人の場合は別として、真面目で小心なること被告人の如きものは、かような責め言葉を以て迫られた場合には一層弁解や自己に責任がないと云う主張をなす勇気を挫かれて了うであろう。かくして捜査官の尋ねるところを肯定する場合それが問いと答えの形式を持つ調書となり了るのであるが、之が暴行脅迫に因るものでないからと云うことを理由に、任意性を主張しうるであろうか。被告人の心理において、それは決して任意ではないし、かかる調書は結論に至る迄の被告人の弁解を全く捨象して了つているのである。被告人の「脅し付けて調べたような事はありませんでしたが問われる方が数が多かつたのであります。そして私の云うことは受付けてくれませんでした」との供述記載はよくそうした消息を物語つている。要するに、勾留せられて外界と遮断せられ(弁護人は第一回公判期日の前日に漸く被告人と面会したのであり、その際被告人は始めて捜査官以外の者と事件に付ての話しをなし得たのである。警察は勿論であるが、松山刑務所においては起訴後においてすら面会人と被告人とが、事件に付ての話をすることを禁じていた。又その弁護人との面談において、被告人は始めて自分はフイルムを見ては居らないと云う本来の主張をなし得たのである)、連日朝から晩迄多くの捜査官(古川警部補と多くの刑事、武田事務官、村上検事)から執拗な尋問、説教、犠牲者を考へぬとの非難に責められたことを考へれば、懊悩と悲歎の塊のように在つた小心の被告人が、捜査官の強力な意思を排除して自己の主張を貫けたと考へることは出来ないのである。

尚検察官の誘導尋問の傾向は習癖に達していると迄思われる。

この点は原審公判廷における証人尋問に現われたのであり、自己の欲する答えの得られぬ場合には五回も六回もそうではないだろうと云う趣旨の尋問を試みている。弁護人はその甚しいものに対しては見かねて異議の申立をしたのであるが、調書には唯一回の尋問に対して異議を述べたように記載せられる。この点弁護人は調書の記載方法に付て裁判長の注意を求めたところ裁判長は「それは調書には出ませんね」と云われ弁護人もこれを諒承したのであるが、弁護人立会の公判廷においてすら、かかる強制に近い執拗な誘導尋問をなす以上、弁護人なき密室の調べに際する尋問ぶりがいかなるものでありうるかに付ては原審は心証を伝うるべきであつたと思う。

以上検察官は、弁護人のなす任意性の否認に対し、立証の必要を認めぬとの高圧的戦法に出で、原審亦これに追従して些かの疑いすらも持つことを拒んだのであつた。これは被告人の有罪に付ての予断を持つたものと考える外なく、時たまにある裁判長の証人及び被告人等に対する尋問に片鱗が窺われ、弁護人の肝を冷えしめた。これらに付ては、後にも触れることであるがそれはさて措き、ともかくも法がよしフランス革命直後の如くに原則として任意性を疑つてかかれと迄は命じていないとしても、これに付て慎重な検討と調査とを要求していることは事実なのであるし、又弁護人の側におけるこの点の主張立証が悉く一顧だに値しないと云うものでもないのであるから(その証拠には原審も警察官に対する被告人の供述調書と第一回検察官調書はこれを証拠として引用することをなさなかつた)、検察官側の立証も未だ完全に終了していないような段階において(検察官は後に証人三好竹市及び横通優の尋問を申請している)、証拠調をなし、且つこれを証拠として採用するのは、違法でもあり、人権尊重の配慮に欠くるところがあると確信する。

尚、供述調書に現われる供述内容が事実と異ること、相互に矛盾撞着すること、不自然であること等も亦任意性を疑わしめる一つの資料であるがこれに付ては次節において詳述する。

これを要するに、前掲検察官に対する被告人供述調書は、弁護人が強制誘導による任意性なき供述を内容とすることを主張し証拠能力を否認し、証拠調に付て強く異議を唱えたところのものであつたにも拘らず、原審は被告人に対しその任意性の有無に付て一言も問うところなく直に、これが証拠調をなした、而もその際、検察官は弁護人の主張する被告人の興奮せる心理状態やこれに乗じたる検察官の心理的圧迫、かくて心神の萎縮せる被告人を思う侭に誘導した事実等を否認したのではなくしてかような事実は任意性の有無に付て争うことにならぬとしたのであつて、原審はかかる検察官の所論に輙く追従したのである。検察官は任意性を立証する必要を認めないと迄極論した。成程刑訴法第三百二十五条は任意性の有無の調査を命じながらその調査の具体的方法に付て規定するところなく、最高裁判所規則も亦調査方法を事実審裁判官の裁量に任せている。然しこのことは調査を不必要ならしめる趣意でないことは勿論、調査を忽せにしていることを意味するものでもない。寧ろ刑事訴訟法全体の結構も、その関係条文も憲法の意図する人権擁護の精神を承け、かかる任意性の有無に付て弥が上にも慎重な配慮と検討とをなすことを命じているものと解すべきである。

従つて弁護人が強く任意性の有無を争う場合、これに一顧をも与へず、被告人に対し読み聞けを受けこれを理解して真正に署名拇印せるや否やの点すら確かむることなく、直に証拠調をなすが如きは余りにも任意性の有無調査の必要を軽んずるもので人権尊重の念慮を欠き、畢竟するに予断を以て審理に当つたと解するの外はない。殊に弁護人の立証によつて右尋問調書の作成せられたる当時の被告人は驚くべき捜査当局の重壁にとじ込められ捜査当局の意思と情報以外には何ものにも接し得なかつたことが明かとなつたし(証人古田正一の証言と第七回公判廷における被告人の供述)、被告人が警察官に説教せられたことや、検察官から「そんなこと云うては死者に済まんぞ」と叱責せられ弁解を聴いて貰えず「何も云うまい、自分丈で責任を負おう」と決心して問わるる侭に答えたことや、興奮していたため調書を読み聞けられても全然頭に入らなかつたことなどが被告人の原審における供述(第七回公判調書によつて明かのようにこの供述は検察官すら証拠として採用を求めているところのものである)によつて明かとなつたにも拘らず、原審は依然として任意性の調査をなそうとはしなかつたのである。

加之、かかる調査をなすに当り、一つの有力な資料となるのは調査に現われる供述内容に矛盾や背理がないか、それとも合理的であり事実に合致するものであるかどうかの点であるが、これが亦後述する如く甚しい矛盾や背理に充ちているにも拘らず、原審はこれに付ても亦一顧だに与えていないのであつて余りにも任意性の有無に付て無関心であると云うべく、以上の事実を綜合すれば、原判決は刑訴法第三百二十二条、第三百十九条、第三百二十五条に違反する違法の裁判と云う外なきものと思料する。

第二、原判決には事実誤認の疑顕著なる違法がある。

一、いう迄もなく、原審認定の事実は「被告人が原審相被告人谷美喜雄がバス内に持込んだフイルム罐を見、その存在を知り乍ら、これについて何等の措置を講じなかつた」とするものであること、原判決自体から明らかである。

而してこの事実を認定した証拠は、第三、四回検察官調書及び検察事務官調書に外ならぬ。何となれば、原判決の引用せるその余の証拠によれば、右フイルム罐が持込まれた位置は被告人の左後殊に、被告人の左後の柱の辺であることが認められるから絶えず前方を見ている被告lが特に後方を振返つて見ぬ以上は見ることができないことは明らかであり、而もこの被告人が振返つて見たことを示す証拠は前掲各供述調書以外にないからである。

然るにこれら供述調書は、前述の如く任意性なき供述を録取せるもので信憑に値しないものである。以下右供述が事実に反し、矛盾に充ち、いかに信憑し得ぬものであるかを他の証拠との関連を眺めつつ明らかにしたい。

前述の如く最初検察官及び警察官の被告人に対する非難乃至捜査方針は(事故の日から検察官が警察官を指揮し、共同して捜査に当つたことは検事自ら論告においてこれを主張する)車掌を運転手の助手の如く考え、被告人と雖もバツテリーが運転手席後方に置いてある以上は、当然客の持込荷物に注意をしている義務があるという点にあつたようである。被告人も亦かかる非難に応じて事実存在せざる注意義務を承認している。(司法警察員に対する第一回供述調書第九項及び第二回供述調書第三項の供述記載)。然し事故発生と共に現地に馳せつけた鉄道当局の人々から、自づと運転手には荷物に関する責任はないという意見が述べられたであろうし、明敏なる検察官としては、この点に関する鉄道法規に関心を寄せぬわけには行かなかつたであろう。

一方谷被告人は、十一月三日自らが居つたバス内の位置を図面に示して迄警察官に供述している。(同被告人の司法警察員に対する第一回供述調書第九項の供述記載)。これによると、同被告人は中筋附近から運転手席の左横に立つたことになる。検察官はこの点に鑑み、被告人が谷に気付いたに違いないと考えたのであろう。この点を追究してその旨を供述せしめ、次いで谷の傍にはフイルム罐があつたのだからフイルム罐も見たであろうという追究に移つたようである。これが根拠なき推測でないことは、十一月八日作成せられた第一回検察官調書第四項には、「それから間もなく発車しましたがその一寸前に私の左後の柱を持つて立つている谷さんの姿を見ましたが、別に話はしませんでした」との供述記載があるところが、同日作成せられた沖田幸雄の検察官に対する供述調書第二項にも「谷さんは運転手席左横の柱を握つて居りました」との供述記載がある。従つて検察官は恐らく、同日の沖田幸雄の供述を聞き、これと被告人の供述を合致せしめたものであろうと思われる。然し谷自身第七回公判廷において、「野村町発車前は、運転手席左側鉄棒の左斜後で、一寸手をのばせば右鉄棒に手が届く位のところに立つていたこと、バス内はびつしり満員で自分の前にも人が立つて居り、運転手が振返つても多分見えないと思う」旨を供述しているし、第二回公判調書中には証人沖田幸雄の弁護人の「運転手は見えたか」との問に対する「見えませんでした、私は体が小さいし、前の方に人が一杯立つていたので見えなかつたのであります」との供述記載がある。殊に右の被告人の検事に対する「谷を見た」旨の供述は、見たことは見たが別に話しをしなかつたというて、平素からいかにも谷をよく知つているように思わせようとしている傾向がある点で、却つて非常に作為的な感じを与えるものである。殊にその供述の次に(前同検察官調書第五項)「……畑ケ谷でも停車し、多小乗降客がありました、谷さんはその停留所あたりだつたと思います、最初居つた処より前の方へ動き私の左横の斜棒を掴んで居つたようです」との供述があり、被告人が終始数多い乗客のうち、谷の動静に注意しているが如き供述があり、運転に専念し乗客に関心を持ち得ぬ運転手が車一杯の乗客中、懇意でもない唯一人の客の動静に一々注意しているという点で、一層不自然を補うためか、同調書第九項には「バスには三日にあげず罐に入つたフイルムの託送をしたり持込まれたりして居り罐は裸のままで縄で縛つたものが大部分でした、時には紙包みもありました……谷さんは映写技師で時々フイルムを車中に持込むこともありましたので……」と平素から被告人が谷を熟知している旨を供述せしめ、つじつまを合わせようとしている。所が事実は、谷は殆どリヤカーでフイルム罐を運んでいたのであつて、この事実は原審第七回公判廷における同被告人の「蓬莱座に入つて後にフイルムを持つてバスに乗つたことは二回位で、その内には宇和島自動車の利用もある」旨の供述、沖田幸雄の裁判官に対する供述調書中、同人の「谷と共にバスで運んだのは宇和島自動車を含めて三回位である」旨の供述記載、第六回公判調書中、証人大野好春の「谷君はリヤカーを利用していましたが私は殆どありません」との供述記載、原審における証人谷千代子の尋問調書中同人の裁判長の問に対する「私は美喜雄と共に昨年七月頃は近永方面、八月頃は土居方面を常に同行して巡業しておりました」との供述記載及びこれに次いで裁判長が「乗合自動車にフイルム罐を積込乗車したことがあるか」と問われたのに対して、「そのようなことはめつたにありませんでした」との供述記載等からも窺われる。又被告人が本来喜多郡天神村に居住し蓬莱座に雇われ、被告人の勤務地たる野村町に居住するに至つたのは、事故発生前僅か一ケ月半前であることは同人の原審第七回公判廷におけるその旨の供述と、前掲谷千代子の証人尋問調書中、その旨の供述記載から認められる。一方被告人の側においては、野村駅にはバスが四台あり運転手が六人居るのであるから、(証人小泉正広の証言及び第七回公判調書中その旨の供述記載)谷が異る方面に巡業しつつ偶々宇和島自動車やリヤカーに依らず、国鉄バスを利用することがあつたとしても被告人運転に係るバスに乗込む確率は極めて少く、況やその都度、被告人が後方を振向き谷の顔を見たというのも恐らくあり得ざる仮定であるように思われる。又この有り得ざる仮定を仮に承認しても、その一、二度のチヨツトしたべつ見で被告人が谷を覚えて了い、而も映写技師であることを顔を見る途端に想い出す程深く認識していたという事は容易に肯定しがたいところである。殊に運転手は運転に専念して乗客に関心なく数多い乗客の一人一人の顔と職業を記憶するに適した職業ではないからである。この点に付ては弁護人の立証として、原審証人武田頼一、岡田貞利、岡村進、大西政数がある。凡そ大洲営業所所属の六十名の乗務員が悉く谷美喜雄を知らなかつたとするならば、独り被告人のみが同人をよく知つていたという検察官に対する供述は極めて不自然なものとなり、弁護人の任意性の否認の主張が裏づけられるであろう、弁護人としてはこの事実を立証するため、全部の運転手及び車掌を証人として申請することも考えた。然しそれが徒らに時間を無駄にし審理を遅らせることを考え、乗務員中から比較的古参な者を任意に抜きとつてみた然し右四証人は、孰れも本件事故発生前谷美喜雄を知らなかつたことを供述するのである。(第五回公判調書中、証人武田頼一、岡田貞利、岡村進、大西政数の同旨の供述記載)なお、検察官申請の証人芝田良雄、横通優の証言を見るに、芝田証人は裁判長に対し「私は野村町から土居村に一週間に最低二往復はせねばならぬので、その間の国鉄バスに始終乗つているのでありますが、映画フイルムや映写機は始終バスで輸送されるのに出会つておりました……」と供述しているにも拘らず、弁護人の「証人が先程フイルムを持つて入つた若い人というのは顔見知りの人でしたか」との問に対し「そうではありませんでした」と答え「谷さんは」との問に対しては「今日が始めてです」と答えている。(同証人の供述調書、又横通証人は、弁護人の「被告人谷を知つていますか」との問に対し「事故前は知りませんが、事故後は知つています」と答えている。(同証人の供述調書)これを以てしても谷が被告人よりも更によく顔を見知らるべき人々の間にすら見知られていない事実が認められる。従つて乗客に関心なく後をふり返つてのみ始めて乗客を認識し得る被告人が、よく谷の顔と職業とを同時に連想し得る程度に見知つていたという前掲供述記載がいかに不自然なものであるかを了解せられると思う。

原審は、右の供述記載を内容とする検察官の供述調書を判決理由中に証拠として掲げなかつた。然しこの供述調書は任意性の大なる突破口となつた点で、重要な意味がある。されば被告人は右供述をなした三日後の十一月十一日警察官に対し「谷のそばにフイルム罐を見た」と供述するに至り、次いで同じ日に検察事務官に対しては「フイルム罐のそばに谷を見た」という供述をするに至つたもので、この検察官に対する供述調書は最も重要なる証拠として、判決理由に掲げられているのである。

右の司法警察員に対する第三回供述調書の

第四項記載は

「フイルム罐は野村駅を出た時には運転台から乗つたので見なかつたのでありますが、中筋駅で行商人風の女の乗客が二、三人降りた時に一寸左側を見たら年の頃二十七、八才位の男の人で警察署に来てから谷さんということを知つたのでありますが、その人が左側の運転台の棒のわきに立つて居りましたのでそのそばにフイルム罐が置いてあるのを見かけました、フイルム罐は運転士席後に置いていたバツテリーと一尺五寸位離れていたように思います」

とあり、検察事務官調書第三項には

「この映画フイルムを積込んだ時は判らないのでありますが野村駅を発しまして中筋駅に停車しました時に客の乗降がありました。この時私は座席から左斜後向けとなつて見ました時、私の座席後のバツテリーより少し入口に寄つた所に裸の丸罐入りの映画フイルムが荒縄縛りとして一縛り立ててあるのを見ました。その附近に私のこの運行する路線で何時の日でしたか坂石でも見ましたことのある顔見知りの映画フイルムを時々裸の侭で私のバスにも持込み持運んでいました。今回事故の後で名を知りました谷という映写技師の男を見掛けましたこの時今のフイルムはこの男が持込んでいるものと思いました」とあるのである。

この二つの不利益な事実の自認調書は同じ日に作成せられているが、時間的には警察官調書が先で検察事務官調書が後のようである。これは第七回公判調書中、検察官が被告人に対し、「十一月十一日に古川警部補が被告人を調べた時には被告人はフイルム罐を見たと述べその晩に検察庁の玉田事務官(武田事務官の誤記と思われる)が調べましたね」と問うたのに対し、被告人が「はい」と答えた記載あることに徴して窺われる。前者は昼間に、後者は夜間に作成せられたものである。而して前者において被告人は「中筋駅で行商人風の女の乗客が二、三人降りた時一寸左側を見たら谷美喜雄が運転台の棒のわきに立つて居りましたのでそのそばにフイルム罐があるのを見かけた」旨を供述する。この調書では被告人が中筋駅で行商人風の女の乗客が二、三人降りたと云うような乗客に関する細い注意を払つたことになつているし、その際の被告人の動作も一寸左側を見たと云うことになつている。その際の谷の位置も運転台の棒のわきであると云うのであり、一寸左側を見るという動作の点からこれが運転台横の棒のようにも思へる。又フイルム罐を見たのは谷を見てから後のことのように取れるのである。而してフイルム罐の位置をバツテリーと一尺五寸位離れていたと特定するから、一寸左を見たと云つても、谷の顔を見、次いでその足許を相当注意深く見たことになる(運転手としてはかかる動作はなす必要は全くないのであるから、警察官をして云わしめれば被告人は極めて偶然に不運な注意を払つたと云うことにならう)。

一方、その晩に作成せられた検察事務官調書では、中筋駅の乗降客に付ては深く触れるところがない許りか、被告人の動作は、左斜後向けとなつて見たと云うことになつている。細いようだが、「一寸左側を見た」と云うのと「左斜後向けとなつて見た」と云うのでは本件では非常な差違がある。と云うのは当時フイルム罐は被告人が一寸左側を見る位では、仮令運転台の周囲に乗客が居なかつたとしても見得ないような位置に在つたからである。恐らく、検察事務官は右の点に鑑み、被告人の動作をより合理的ならしめるよう工作したのであらうと思われる。被告人の供述によるところのフイルム罐は裸の丸罐入れのフイルム「これは男の花道の方であり、谷は沖田がこれを持つていたと供述し、沖田は第二回公判廷では略これを肯定し、検察官に対する供述調書においては逆に谷がこれを持つていたと供述している)であり、このフイルム罐を見てから「その附近に谷を見掛けた」と云う順序に変つている。この場合被告人は先ず床を注意深く見、次いで上を向いて乗客の顔を見たことになる。而もこの調書の記載によると、前述の様に余りバスに乗らなかつた筈の谷が、被告人のバスに時々フイルムを持込み持運んで居り、一方被告人はその都度これに関心を寄せていたようになつている。

かくの如く、同じ日の昼と晩とによつて、同一事項の供述に非常なニユーアンスが出て(この点は検察官自身も認めざるを得ず論告においてこれを弁明したのであつた)来て居り、これこそ供述自体に無理があることを窺わせるものである。

運転手が乗客と荷物に関心を持つものでないことは前述した。これはバスに度々乗り合わせる吾人の経験的事実としても肯定せられるところであるが、本件の証人となつた他の運転手が異口同音に強調するところでもある。然るに人一倍気の利かぬ被告人が、平素においては勿論、本件の場合にも、後をふりかへるのみか、上を見ては乗客の顔に注目し、下を見ては荷物に注目したりして頗る気の利いた動作を示したことになるのであり、驚くべき不自然さを感ぜしめる。

次に被告人が左斜後をふり返つたと云う検察官の主張を仮に肯定しつつ、その場合においてフイルム罐は被告人に見える状態に在つたかどうかを証人の証言に照らして検討して見ることにする。この間の消息を明らかにする証人としては法華津タカ、上田又一、松本高(以上弁護人申請)と三好竹市(検察官申請)とがある。尚証人沖田幸雄と被告人谷とに対しては、裁判官、検察官、弁護人ともこの点に付ての尋問をなさず、僅かに谷被告人が弁護人の問に対して「バスは満員であつたから被告人がよし後をふり向いて見ても自分の顔は多分見えなかつたと思う」旨を供述するに止まる(第七回公判調書)

証人法華津タカと松本高に依れば中筋駅におけるフイルム罐の位置は、運転手席の真後とも云うべく、被告人が一寸左側を見る位では目に入らない許りでなく。左斜後を見ると云つても意識的に注目せねば目に入らない箇所である(昭和二十七年七月十日の検証調書添付図面)。又法華津証人は弁護人との間に左記のような答をしている。

問、当時運転手が一寸後をふり返つた場合に後側に置いてある丸い罐が見えたでせうか

答、その間には風呂敷包みなどの沢山の荷物を積んでありましたし、又人も大勢混んでいましたから絶対に見えません。

一方、松本証人は慎重に答へて「運転手にとり見ることは困難であつたと思う」旨を供述する。以上は右両証人に対する昭和二十七年七月十五日附証人尋問調書中の記載である。この松本証人の供述記載は同尋問調書に記載洩れとなつていたため、弁護人の異議申立となり、それが採用せられて附加へられたものである。

次に証人上田又一、三好竹市は、フイルム罐の置いてあつた地点として右両人に比し、若干左方の地点を指示している、(昭和二十七年七月九日の検証調書添付図面)。この添付図面のに、ほの位置は実際に証人三好竹市が指示した地点よりも稍左に記載せられている。弁護人はこの点に付ても手控を疎明資料として異議申立をしたが、裁判長が「どちらでも同じことではないでせうか」と云われるので多分心証を得られたことと思い強いて主張しなかつたところ、裁判の結果は弁護人の考へたところと丸で逆なものを示したのは遺憾である。

右両証人も亦、運転手がよし左乃至左後にふり向いたとしても、バスが乗客で一杯であつたため当時そのフイルム罐は目に見えなかつた状態である旨を証言する(同年七月十五日附尋問調書中その旨の供述記載)。殊に三好証人の如きは、尋問に際し、激しく首をふりつつ、見えることを言下に否定したのであつて、弁護人としては当然原審裁判官が心証を得られたものと確信していたものであつた。

以上の内、上田、三好両証人の証言を聞き、その指示する地点を観察して、原審は中筋駅附近におけるフイルム罐の所在箇所に付「注意して見れば、運転手席左後方である第一図〈ロ〉〈ニ〉〈ホ〉点相当箇所辺りの床迄は見ることができることを認めた」と判断している(前記検証調書第四項末段)

然し、この判断は勿論、運転席の周囲に人が一杯立つていることを捨象したものである。試みに人が一人運転手席左後の鉄柱にもたれて立つことによつても、この判断は変更を余儀なくせられるであろう。而して当時のバスがビツシリ満員で人がはみ出す位であつたことは前出法華津、三好の両証人が中筋駅下車の際運転席の周囲にビツシリ一杯で出にくかつた旨を証言すること(前出両証人の証人尋問調書)からも、谷被告人のその旨の供述(第七回公判調書)からも、証人沖田幸雄の証言(第二回公判調書、同人は足を踏まれたと迄供述する)、三瀬筆太郎、松本高、芝田武雄、三好竹市、谷千代子、二宮卯吉の証人尋問調書中同旨の供述記載からも、動かし得ない事実として肯認せられるのである。

次に被告人が何故に、わざわざ左斜後をふり返る必要があつたかの点に付ては前掲検察事務官及び検察官調書は些かもこれに触れるところなく、検察官はその論告において「被告人は恐らく出入口の辺を見たのであらう」と推定し、次いで「その際乗客の足の間からフイルム罐が見えたに違いない」などと主張した。然し前述の如く、当時のフイルム罐の在つた地点は、運転手にとり注意して見れば見える地点であるから入口の方を眺めたからと云つて当然にフイルムの地点に注意が向く筈がないのである。本件の如く見たか見ないか及び見えたか見えないかが争となる場合には、検証する訴訟関係者は既に左斜後に注意と関心を向けつつ観察しているのである。従つて、左斜後を向いても後方が相当部分視野に入つてくるが、かような事故の発生を夢にも想わざる運転手が漫然出入口を見たからと云つて、注意すれば見える地点の荷物を人の足の間に認識しうるものではないことは確信を以て主張し得るところである。

加之、運転手は左後を振向く必要がない者である。これに付ては前述した通り、第五回公判廷における証人岡田貞利、岡村進及び第六回公判廷における証人土井孫三郎の証言によれば、運転手は停車中と雖も時間表を見、エンジンの調子に気を配りつゝ発車合図を待つ者であつて後方を振向き乗客や荷物に注意するようなことは考へられぬ事実が認められる。

以上の各証拠と、これによつて認められる前掲諸事実に鑑みるときは、被告人が左斜後方に注目したりとすることが如何に有り得ざる事実であるか、又当時の満員バス内において単に、左後方を一べつしてフイルム罐が認識せられ得たりとすることが如何に事実に副わざるものであるか、又その自供の出発点となつた被告人が被告人谷を熟知していた旨の供述が如何に信憑し得ぬものであるかゞ推定し得られると信ずる。

右の諸点のみならず、検察官及び検察事務官調書はその外にも幾多の虚偽の自供を含んでいる。その極端なものは、バツテリーの輸送が常時行われていたとの一事である(第三回検察官調書第三項)。この点被告人は第七回公判廷において、証人東政陽、小泉正弘は第三回公判廷において、証人岡田貞利、岡村進、大西政数は第五回公判廷において、証人平田寿は第六回公判廷において、孰れも、平素バツテリーの輸送が行われていたようなことはない旨を供述し、右の自供が虚偽の事実の承認であることを証明してゐる。

次に、第三回検察官調書第一項によれば、被告人は「中筋停留所附近で縄で縛つたフイルム罐を見た時、バツテリーの事を心に浮べたが、荷物も沢山あることだし、まさかフイルム罐をバツテリーに接触させるようなことはあるまいと思い放任し、大西停留所でも荷物を二、三人の人が片づけていたが同様の気持で放任した」ことになつている(尤も同調書第二項の供述記載は多少これと響きを異にしている)。若し検察官がこの自供に付確信を持ち、原審亦これを証拠として掲げる以上は、起訴の点も原判示事実も等しくかかる自供に副うような認定になるべきだと思う。

然し検察官も原審も右のような極端な事実迄は認めようとしないのである。被告人のみならず、被告人以上に老練なる運転手と雖も、当時においてはフイルム罐とバツテリーとを近づけては危険だと云うことを、どちらかを一見して直に他を連想する程には深く認識していなかつたのが事実であつてこの事実は、バツテリーの輸送を被告人に依頼し自らバス内に積込んだ東運転手の証言(第三回公判調書)や、監督的地位にあつた藤原芳吉の証言(同証人に対する尋問調書)同じく岡村進の証言(第五回公判調書)、古参運転手たる土井孫三郎の証言(第六回公判調書)等によつて明かである。これに対し、検察官は本件事故以前北海道にバス常備のバツテリーの配線に欠陥ありこれとフイルム罐とが接触して生じた事故のあつたこと及びこれに付ての火災事故警報(証第五号)が被告人等運転手に回覧せられている事実を指摘するのである。然し右事故がバス備付の常備バツテリーの配線に由るものであり、それ故に、かかる警報を与へる側においてすら常備バツテリー以外の輸送せられるバツテリーに迄は思い及ばなかつたことは、証人小泉正広の第三回公判廷における証言と右警報記載の文言自体からも認められるところである。従つて注意を受ける側に立ち一層知識と気転に乏しい東運転手や被告人の如き者が、教へられた配線の点検は後生大事に遂行し乍らもその他に気転が及ばなかつたとしてもそれは寧ろ当然とも云うべきように考える。然るに前掲検察官調書によれば被告人はよくその一を見て直に他を連想したのみならず運転しつつその考想を大西停留所迄持ちつゞけたと云うのであるからいかにその自供が検察官の意図に迎合する不自然なものであるかゞ了解せられるであらう。

かくの如く、被告人がフイルム罐を見たとする検察官及び検察事務官調書は孰れも信憑に値せぬ供述を含む任意性なきものである。原審はこの最も重大なる争点に関し、任意性に関心を示すことなく、一片の調査だになさずして右調書を証拠として採用したもので、事実誤認の疑顕著なる違法があると云わねばならない。

二、原判決は「被告人が野村町発車に当り、自席背後の床上にバツテリーが覆いのないまま積み込まれたことを認めた」との事実を認定している。

成程バツテリーの位置が原判決認定の通りであつたことは疑ない事実であるが、被告人が野村町発車の際、これを認識したと云うのは事実ではないのである。

このバツテリーを積込んだ者が東政陽運転手であることは、同証人が第三回公判廷において自ら証言するところから明かである。被告人が野村町を発車したのは十一月三日の午前六時であることは原判決摘示の通りであるから、当時外界は勿論バス内部も未だ暗かつたことは自然法則上明かで被告人は乗車に際して真黒なバツテリーを認識せざりしことが真相なのである。原判決が証拠として摘示したものの内、被告人がバツテリーの所在を認識していたことの証明となるものは、前同検察事務官及び検事調書以外になく、これらの調書の記載を見るに、被告人は何時如何にしてバツテリーを認識したりや否やに付ては語るところなく唯それが自席後方に在ることを暗黙裡に承認し、これを前提にして語つているのである。思うに、バツテリーの置かれた位置は動かし得ぬ程決定的事実なのであるから、被告人も亦発火の際の自己の体験と官憲の追究時における発言からしてこれを既定の事実として承認したものであらうと思われる。

この点について、最もよく原判決認定事実に合致するものは第一回検察官調書第三項の供述記載であるが、この調書は原判決も何故か断罪の証拠としては掲げることをしなかつた。

被告人は自ら認識せざりし故に、最初は却つて色々と自己の想うところを供述して居り、司法警察員に対する第一回供述調書には「バツテリーの下に厚さ一分位長さ一尺位の板を一枚置いてあつた」旨の供述記載がある。これは全然事実と異なるのみならず、被告人が自己を弁解せんとする意図から出た作為的供述の如く疑うには余りにも無意味な供述なのでありそのように解釈すれば却つて被告人の当時の興奮と防禦能力の欠陥とを物語るものである。又被告人がこのバツテリーについて深く知らぬことを証明する供述としては、このバツテリーを「秋月運転手が積込んだ」旨を供述している(同調書第十四項)ことにも窺われる。これ亦自己防禦のためにする虚偽の供述なりと判断することを許さぬものである。何となれば、東運転手が積込もうが秋月運転手が積込もうがそれは被告人の罪責には少しも影響するところがないからである。然し被告人は司法警察官に対する第二回供述調書においては右の板がバツテリーの上に在つた旨を供述するに至つた(同調書第五項)。これは正しく事実に吻合しない。被告人は原審第七回公判廷において検察官からこの点の追究を受け「バツテリーの上に板を置いてあつたのではなかろうかと思つたのでそのように述べたのであります」と供述し、「そのように空想するようになつたわけは」と問われて、「当時のことは解りません」と答へている。思うに被告人は、発火原因がバツテリーとフイルムとの接触に在ることを聞かされて今更のように戦慄し、東運転手がバツテリーの上に板を置いていてくれたことを強く希求し、その余りに板が置いて在つた如く心理学上の所謂幻覚を生じて了つたのかも知れない。これは興奮と懊悩の余り意識が混濁している状態においては十分に考へられるところである。然しかかる事実に吻合せざる供述をなすにおいては、単純なる捜査官憲から「こ奴、うそをつきやがる」と思われて一層気負うた追究を受くることは必定であり、却つて被告人に不利を齋すに違いない。かくて被告人は、このバツテリーを見たと云う点許りではなく、従前から谷をよく見知つていたことや、乗客と荷物の動きや、フイルムの所在の認識やら本来の事実と認識を遥かに超ゆる諸々の不利益なる事項の承認迄を迫られる結果を自ら招いて了つたのであつた。

真実、被告人がバツテリーを見たのは十一月二日夜野村駅で東運転手から輸送を頼まれた当時同駅事務所においてゞあつた(第七回公判調書及び第一回検察官調書第二項の供述記載)。

尚これに関連して、車掌はこのバツテリーを見たかどうかであるが、被告人の説明によると、車掌は発車前、点燈してバス内を掃除するから当然見ている筈であると云う(第七回公判調書)。この外被告人が運転手席に着席して運転を始める際には点検するし、野村町から卯之町に出る迄は乗客もさして多くなく、その間外界は明るくもなつているのであるから車掌がこのバツテリーを認識していなかつたと云うことは余程特段の事情なき限り考へ得られぬところである。

原審は、かかる事実に付ても深く考慮するところなく前出自供調書を鵜呑みとして被告人がバツテリーの所在と、その覆いのない事実とを認めた旨を判示しており、これ亦事実誤認の疑顕著なるものである。

三、原判決は、亦「被告人が蓄電池の端子に他の金属が触れれば電気的発熱を生ずることを知つていた」旨を判示する。

この点の智識が被告人の全智識の一部分として埋もれて存在したことは事実であらう。唯、それはわれわれが人から云われれば肯定し自己の智識であることを承認はするが、然しそれが生き生き脳裏に在つて自己の行動や判断の基準として有力に活動する程身についていたものであるか、どうかは疑なきを得ないのである。何となれば、本来運転手は運転業務に全力を傾倒する者であり、バツテリーに付て何等の教育をも受けて居らぬのみか、これが整備や補修等は凡て検査掛及び技工等の任務に属するからである(証第六号の自動車営業所従事員職制及び服務規程、前掲証人小泉正広、岡田貞利、岡村進の正言)。従つて運転手は本件事故前において、バツテリーを見るや直にフイルム罐を表象し、又フイルム罐を見るや直にバツテリーを連想する程その所謂危険性に付ての認識を持つては居らぬのが一般であつたことは、右証人岡田貞利、岡田進及び前掲証人藤原芳吉、土居孫三郎等が異口同音に証言するところである。

原判決は、バツテリーの端子に金属を当てがえばスパークするとの智識が被告人に在つたことを認定し、これから直にフイルム罐を見た以上はバツテリーとの接触の危険、電気的発熱現象、次いでフイルムの引火燃焼と云う物理的化学的事象を想起して直に車掌若くはフイルム所持者に注意を与うべきであるとの注意義務を認めている。

然し、かかる注意義務を認める前提としては、被告人のバツテリーに関する智識が、直に右の如き判断をなし得る程活きた智識であつたことを判示しなければならない。ところが原判決は事実摘示においてはこれに付て触れるところがなく、その証拠説明中において、被告人は右の原理を十分に知悉していたと認定し、その資料として、第一回及び第三回検察官調書、証人小泉正広の証言、伊予大洲営業所長作成に係る「フイルム及びバツテリーの輸送に付乗務員に達示した事項」と題する書面並びに証第五号の火災事故警報を掲げている。然しこの「証拠説明の証拠説明」とも云うべきものは判示事実とは云い得ないのみならず、証人小泉正広の証言によれば同人作成の「フイルム及びバツテリーの輸送に付乗務員に達示した事項」中「ガソリン及び蓄電池は危険のない様にして輸送すること」とある注意及び「バツテリー及びコードには木箱等で覆を設ける(現在付いているものが不備なものは検査掛又は指導掛に連絡願います」)とある注意はどちらかと云うと、検査掛や技工に対する指示であること及び常備バツテリー以外は予想だにせられていなかつたことが窺われるし而も、この注意が被告人に対して現実に与へられたかどうかは同証言にのみに依つてはこれを認めるに足らず、却つて前出証人東政陽、岡田貞利、土居孫三郎、藤原芳吉の証言及び被告人の第七回公判廷における供述によれば、かかる注意が果して乗務員に徹底せられていたかどうかすら疑なきを得ないのである。何となれば証第七号の火災事故警報の如きものがあれば格別、それも現実に存在しないし、この証第七号は運転手に対しては単に、常備バツテリーの配線点検を命じたに止まる。又第一回検察官調書は前述の如くその余の検察官及び検察事務官調書と矛盾し判示事実の証拠としては掲げられずこの「証拠説明の証拠説明」中に始めて引用せられたものであるが、かかる引用が許されるかどうか疑なきを得ないし、第三回検察官調書と共に、弁護人が強く任意性を争うところのものである。

以上要するに、原判決は「バツテリーのターミナルに金属を当てれば、電気火花が出るとの智識が被告人に在つたこと」を判示し、それを以て、直に「被告人がフイルム罐を見たならば、バツテリーと接触して発火しフイルムに燃焼することを認識せねばならぬ」と断論するのであるが、被告人の前段の知識が果して忽忙の間直にかかる認識を生ぜしめる程の生きたものであつたかどうかに付ては些かも判示するところなく、その証拠説明中においてかかる事実を認定せんとして証拠説明の証拠説明をなし異例の裁判と云う外はない。一方前掲証人東政陽、岡田貞利、岡村進、藤原芳吉、土居孫三郎の証言と被告人が東の依頼を受けてバツテリーの積込を許し、車掌に注意を与へた後は一切これを亡却して運転に従事したる経緯(第七回公判調書中被告人の供述記載)とに鑑みれば被告人のバツテリーに関する知識は、他の運転手と同様、原判示の如き重大なる危険を連想しうる程高度のものではなかつた事実を認定しうるのであつて、原判決はこの点においても重大なる事実の誤認を敢てしているのである。

四、原判決は、「被告人が大西停留所において自席背後の蓄電池の箇所に荷物の置き換えられている気配を感じた」との事実を認定している。

元来被告人が大西停留所においてどの程度背後の乗客の動静に気を配つていたかは甚しい疑問のあるところで、検察官はその第一回調書第六項において、被告人をして、「次の大西で停車した際何時の間に積んだのか私の右後に野村で積もうとした座布団を積んで居りそれをおろすのを見ました、その時横に居つた谷さんが伏むいて何か動かした様に思いますが何であつたか解りません……」と供述せしめているにも拘らず、自らこれを信用せず、起訴状において、被告人が「自席後方において荷物の置き換へられているのを覚知した」と微妙な表現を用いている。第一回公判廷において弁護人は検察官に対し、右の「覚知」とはいかなる意味を持つものかの釈明を求めたところ、検察官は「覚知とは単に知つたと云う程度である、凡て後方における出来事であるから被告人が後方をふり向いて確認したわけではない」と釈明している。然し、右供述調書の供述記載は「被告人が荷物をおろすのを見た許りか谷が何か荷物を動かすのも見た」とあり、検察官の主張以上に後方の出来事を目で見たことになつている。然し検察官はこの自らになされた供述すら信用せず起訴状においても公判廷における釈明においてもそこ迄の事実を主張するわけではなく、自ら右供述の任意性なきことを承認するに等しいのである。

原審も亦、かかる供述記載をそのままに措信せず、単に「荷物の置き換へられている気配を感じた」との事実を認定しているのであるが、これは恐らく検察事務官調書第四項の供述記載に則り、独自の解釈をなしたものなのである。

凡そ運転手が後方を振向き荷物や乗客に注目するようなことは絶無とも云うべきこと、先に証拠に照して詳説したところである。然るに検察官及び検察事務官に対しての被告人は、中筋においては勿論、大西駅においてもその都度後方をふり向き、何かしら事件に関係深きことを注目していることになり、不自然極まる態度を示すのである。

大西駅において、座ぶとんが下されたことは略疑ない事実として認められるが、それ以外に果して検察官が主張し、原審の認定する如き荷物の置き換えがあつたかどうか、又仮にあつたとしても運転中の被告人がそれに気付く程度のものであつたかどうか(被告人谷がフイルム罐をバツテリーの上に移したのがその発火時間から見て発車後であることは鑑定の結果に照しても推定しうるところである)は甚しく疑問でありこれを原審が証拠として引用する生残証人松本高(第一回尋問の分)、谷千代子、芝田良雄及び当の座ぶとんを持つていた二宮卯吉の証言に照して見ても、当時下車した乗客が二宮卯吉一人であり、荷物も座ぶとん十枚一包みに過ぎず、当時の満員状態から見て、それが荷物の大規模な置き換へを齋したとは考へられないのである。即ち松本高及び芝田良雄、谷千代子は孰れもかかる荷物の置き換え等を全然知らない旨を供述しているのである。

唯僅かに検察官に対する矢野利晴の供述調書のみは、大げさに、かかる荷物の置き換へと云うか積みかさねと云うかそうした事情を記載しているが、原審はこの調書を証拠として掲げていない。これは恐らく同調書第五項の「運転手は前を見ており、荷物の方を見た様にありません……」とある供述記載を嫌うと共に、第二回公判廷における同証人の供述により、右調書の作成時期が同人の火傷後間なしの時期で当時同人は未だ目も十分に見えない病状にあつたことを考慮したためと思われる。

次に原審が証拠として掲げる裁判官の沖田幸雄に対する証人尋問調書、検察官に対する被告人谷の第一、二回供述調書(第一回供述調書の分は第一項、第二回供述調書の分は第三項の供述記載が重要である)及び被告人谷の第七回公判廷における供述を綜合すれば、大西駅で座ぶとんのおろされたあとに、被告人谷が左手に運転手背後の鉄柱を持ち、右手を以てフイルム罐を運転手席背後に置き換へたこと、それはバスの発車後であつたことが認められる。従つて、運転手たる被告人は前方に注意を注ぎつつ運転上の操作をなし、且つはバスの運転に伴い生ずべき音響に妨げられて背後における谷の行動が目に入らぬ筈であるのは勿論、かかる荷物の置き換へ等は察知し得ないものと考へるのが自然である。従つて前述第一回検察官調書第六項の「谷が何か置き換へるのを見た」と云う如き供述記載は、運転中に後を振り返つて注目したことになり、驚くべき虚偽且つ不自然なものとなりこれを以てしても、検察官に対する供述の任意性を疑うに足りるであらう。

尚被告人谷がフイルム罐をバツテリー上に重ねた時期が大西駅発車後であることは、同駅発車後発火迄に三、四十秒位と思われる時間の経過している事実と、鑑定人森岱義外一名作成にかかる昭和二十七年六月二十四日附鑑定書中「罐をバツテリー端子に最初接触してから罐中のフイルムが発火する迄の時間は十秒程度と思料せられる」旨の記載からしても推認しうるところである。

以上に依て被告人が大西駅において荷物の置きかえられたことを察知したとの認定が、検察事務官作成調書第四項の供述記載のみを措信して軽々になさるべきでないことが判明すると思う。当時被告人はバスが五分遅れのため発車を急いでいたこと(第七回公判調書)、乗降客は各一名で停車時間も恐らくは極めて短いものであつたこと、被告人は関心を時間や前方の注視や運転そのものに向けていたこと等を考へ合せるならば、被告人は背後の乗客の動静や荷物の置き換へ等には全く注意を払つていなかつたことが明かになると信ずる。而も、この「荷物」の中にフイルム罐を含ましめることは検察官と雖も敢てなし得なかつた程、被告人のこの点の認識は疑わしいものなのである(第一回公判調書と弁護人提出の公判調書訂正申請書御参照)。従つて背後において多少の荷物の置き換へのあつたことを仮に承認するとするも、そのことから直に被告人が荷物の内のフイルム罐とバツテリーに関して同時に連想をなし、危険なりと判断して所要の措置を講ずべきであつたとする注意義務と可能性とを肯定することは事実の真相に甚しく遠ざかるものである。

五、原判決は「被告人が大西駅で荷物の置き換へられている気配を感じた頃、乗務中の土田車掌がフイルム罐所持者に対して火災防止上の注意を与えぬのに気付いていた」旨の事実を認定している。原判決の事実摘示中の文言は、単に「土田車掌が注意を与えるのを聞いて居らず」とするに止まり、「注意を与えぬのに気付いたと」の表現を用いてはいないのであるが、実質上その意味を含めていることは、「注意するのを聞いて居らぬのであるから被告人自ら注意をする義務がある」として、聞かぬと云う不作為から積極的行為をなすべき注意義務を生ぜしめていることに徴しても、証拠説明中のその旨の断案に徴しても明かなところである。

然しながら、土田車掌が注意を与へなかつたことが事実であるにせよ、被告人は注意を与へたのを聞かなかつたと云う事実を承認するに止まり、注意を与へぬと云う事実を本件事故発生直前に意識していたものでは絶対にない。然るに前掲検察官及び検察事務官調書は、孰れも曖昧ではあるが、車掌が注意を与へぬ事実を被告人が当時において意識していたかの如き響きを持つ供述記載を掲げて居り、これ亦被告人が常時乗客と荷物とのみならず車掌の言動にも注意を向けていたとする事実を供述せしめた点において、著しく運転業務の実状に反し、かかる供述記載を措信せる原判決は事実誤認の疑顕著なる違法あるものである。

第三、原判決には注意義務及び責任に付ての法律的判断を誤つた違法がある。

一、原判決は被告人が運転手として運転に従事する傍ら、尚且つ乗客の行動と荷物とに関しても注意を払い以て適切なる危険防止の措置を講ずべきであつたと判示している。

然し乍ら、運転手は運転の業務が一歩を誤つにおいては衝突顛覆等の事故により乗客その他の人命を脅かす危険性を持つ特殊の業務であるところからして、他の一切の考慮から解放せられ、専心運転業務に従事する者であり、その故に事実上乗客や荷物に関心と注意とを向けぬと云う許りでなく、実に又注意や関心を向け得られず、且つ又向けざることを要求せられるものなのである。

原判決は先ず、危険の伴い易い乗合自動車の運転手はその職務を遂行することにより生ずるかも知れない一切の危険を未然に防止するため細心の注意をせねばならぬこと、及びその際規則の予想せず且命じていないことについても臨機の措置を採るべきであることを判示する。

然し乍ら、かかる条理上の法規範は弁護人と雖も否認するものではないのであつて、本件においてはバツテリーが一旦車内に積み込まれ車掌に引渡された以上はその監守保管の責任は被告人の職務遂行から離れ去り、車掌の職務に完全に包摂せられて了うことを主張するのである。従つてこれより生ずる危険は運転手の職務を遂行することにより生ずるかも知れぬ危険とは云い得ざるは勿論、これに付て被告人が細心の注意をなすことを要求せられるものではない。原判決の云う法規範は、高々被告人が東運転手に頼まれてバツテリーの輸送を引受け且つ、発車のため自動車に入つてこれを眺めた際と車掌に引渡した際の二つの場合に適用せられるにすぎない。即ち一旦車掌の手に移り、自己が本来の運転業務に従事するに至つた後は、全精力と全注意力を運転業務に傾注し、バツテリーの保管は被告人の念頭から去るべきことを要求せられるのであつて原判決の云う如く、被告人が当時これを念頭に置いて警戒すべきものでないことは勿論、偶々後にフイルム罐と云う関連性強き物体を見たと仮定しても、その際大分前に見て忘れているバツテリーの存在を想い出す義務もなく又これとフイルム罐との接触の危険に気づかなかつたからと云つて、気転の利かぬ者よとの非難をこそ招け、その法律上の任務乃至注意義務違反の責任を問われるものではないのである。この点は、前出証第六号の自動車営業所従事員職制及び服務規程が営業所従事員に所長以下十八種の職名と職種を分け、大分すれば、庶務掛、技術掛、駅務掛、車掌、運転士、技工、用品掛の八種の職種にそれぞれ固有の任務分担をなしている事実と第三回公判廷における証人小泉正広の証言、第五回公判廷における証人亀山義一、岡田貞利、岡村進、大西政数の証言及び第六回公判廷における証人重松勅正、土井孫三郎、平田寿の証言を綜合して優にこれを認め得るところである。原判決はこれに対し、乗合輸送の目的が安全且つ迅速な輸送にあり、昭和二十三年五月七日附運輸省令第十一号自動車運送事業運輸規程第二条もこれを明示して居り、職務分担はこの目的のために定められているのであるから、この目的を無視し得ず、運転士と車掌とは相互に協力し合うこと条理上当然であり、かかる職務及び責任の分担は一応の規準にしかすぎぬと説示するのである。成程、運輸事業にして安全且つ迅速の要請を持たぬものはなく、安全にして迅速な客貨の輸送こそその本質的任務であることは云うを俟たない。然し乍らこの要請を最も十全に且能率的に果すためにこそ任務と責任の分担を生ずるのである。

又安全と迅速の要請は二にして一であるが同時に亦一にして二であり、一を犠牲にして他を生かす場合すらある。例へば各自の職務と責任の分担が一応の基準であり、各掛は起り得べき一切の危険を配慮しなければならず、そうでなければ偶生起した危険に付ても責任を負うべきものとせられるならば運転士はその本来の任務の傍ら与う限り車掌の行動、乗客の動静、荷物の在り方等に付て注意を払う必要が生じるであらう。然しかくの如きことを運転士に命ずるならば、運転士の人力に限度ある限り、その本来の運転業務への全精力、全注意力への傾倒はそれ丈減殺せられることを余儀なくせられる。それは運転業務そのものの重大性からして鉄道当局の欲せず又義務づけぬところであることは勿論、然くあることを強く排斥するところのものであつて、かかる鉄道社会の法規範はその合理性からして国家法秩序においても亦その存在を容認せらるべく、本件の如く一回限り生起せる事故の結果の重大性に眩惑せられ条理に仮託して紊りに排斥することを許さぬものなのである。然らずんば、運転士はその注意力を車掌の業務に注がざるを得ず、かくして気散じ疲労した揚句、道を踏み外し、千仭の谷底に自動車を落下せしめる結果を生ずるかも知れない。これは一つの極端なる想定であるが、かくの如きことなからしめんためにこそ、運転士は大山崩るるも尚且つ動ぜざる程専心運転のことを考へ、他の一切の事象に対する思考を抱かざることを要求せられるのである。事故の生じた場合における検察官の考へ方は常に、如何にすれば事故が生じなかつたであらうかを考へ、その考へついた条件を以て直に注意義務を生み出すのであるが、その場合においては輸送業務の目的が安全にあることが強調せられるのが常である。然し安全なるがためにはスピードを落すことが最も有効なこともあり、又仮令任務分担があつても、それを各人のなすところに任さず、他の者にも同時に参与させて安全を確認させることが有効であつたり(機関車の運転において信号の確認を機関士のみに任せず機関助士にも確認させ換呼応答なさしむる如き)、特殊の装置や施設を使用することが有効であつたり、その時々の具体的な環境によつて事故防止の条件が異つている。膨大な施設と人員を以て日日同一の業務を繰返す国鉄と云う社会は多年に互る様々の経験に鑑み、その業務の性格と能率上や経済上の必要等を考慮しつつ、安全と迅速の要請を妥協せしめつつ、業務遂行上一般的に必要にして十分なる最小限度の条件を設定しつつ、業務遂行方法を定型化し以て能率的なる業務の運営を企図しているのである。従つて、スピードを落せば具体的の場合には絶対安全であるからと云つて必ずしもスピードを落すことを命ずるとは限らず寧ろ一般の場合に安全と考へられるスピードを許容しつつ迅速の要求と妥協せしめる場合(踏切道通過の際における列車や繁華街を疾走するバス)もあれば、同一の業務に付二人の人間を参与させた方がより安全であることが分り切つていても能率上の考慮からこれを義務づけることをしない場合(線路や転轍器の如き施設の完全は保安系統の責任とし、運転系統はこれを完全と信じて列車を運行し又は転轍器を操作することが許さるる如き)もあるし、一定の施設を用うれば事故が絶滅できることが分つていても経済上の必要からこれを見送る場合(岩石落下防止施設やレールの充実等)もある

バスの運行業務における業務遂行方法は一般的には列車の運行業務における程には定型化していないことは事実である。それは列車運行業務程複雑且専門化せるものでないからであるが、それにしても、事運転に関する限りは、運転手の任務と責任とを限定し、それ以外の考慮から解放せしめ、否寧ろ本来の任務以外に注意力を消散せしめることを禁じ、これによつて一層安全の要請を充足せしめんと企図しているのである。前掲鉄道職員たる各証人が運転手は荷物に付て責任がない旨を異口同音に証言するのは、かくの如き鉄道社会の法規範とその合理性及びこれより生ずる慣行を身に泌みて感得してゐることに因るものである。

本件の場合において、運転士たる被告人が今少し頭がよく又バツテリーに付て深い智識を持ち、東運転士乃至土田車掌に注意を与へて板を置かしめるなり、その置き場所に付て注意を与へるなりして居れば事故の発生を避け得たかも知れないことは弁護人と雖も認めないわけではない。

然し自らバツテリーを積込んだ東運転手も本来その保管の責に任ずる土田車掌も共にそのことに気付かざるに又証人土居孫三郎や岡田貞利の証言する如く、これら古参運転手と雖もその場合に遭遇して居れば同じく気付かなかつたであらうと思われる場合に、独り被告人に対し安全が窮極の目的なりと云う大原則を振りかざし、かかるバツテリーを運転開始後数時間に互つて念頭に置く義務、フイルム罐を見るや否やバツテリーを思い出し、相互の関連を考慮する義務、車掌の行動に注意しその不適切なる場合に車掌の任務を補助するの義務等を内容とする注意義務を定立するのは、右の如き鉄道社会の法規と慣行及びその合理性を理解せず、畢竟するに本件事故に因る結果の重大性に関心を奪われ個々の具体的妥当性を以て全体の法的妥当性を害うに至ることを忘却したもので、法の解釈適用を誤つたものと思料する。

最後に附言するに、元来バス内の荷物は車掌の管掌するところであり、車掌が一旦これを目に入れた以上、運転手その他何人からの引継ぎがあらうとなかろうと、その責任に移るものであるが(前掲証人小泉正広、亀山義一、岡田貞利、岡村進、大西政数、藤原芳吉、土井孫三郎、平田寿、重松勅正等は夫々の蘊蓄を以てこの道理を説明している。尤もこれに付ては検察官が執拗にくい下り、仮定的事例を持ち出しては時に証人等の思考を混乱せしめたが、これらの証言を綜合すれば、右の結論以外の結論は出る余地がないのである)本件においては、特に被告人が車掌にバツテリーの存在を知らしめて注意を促した事実のあること先に説明した通りである、この点に付ての証拠としては、司法警察員に対する被告人の第一回供述調書第十四項の供述記載と被告人の第七回公判廷におけるその旨の供述がある、而して検察官がこれに付ての被告人の弁解を「犠牲者に責任を負わせてすむのか」と一喝して取上げなかつた経緯に付ても先に述べた。従つて被告人が爾後バツテリーのことを忘却し安心して運転業務に専念せるは一層妥当なる行動であつたのである。原審は先に述べた如く被告人がフイルム罐や被告人谷を見たとする等多岐に互つて事実の誤認をなしこの誤てる先入感と、結果の重大性に因る応報的感情とに災いされ、鉄道社会の合理的規範と慣行とを排斥したもので、弁護人の承服し得ざるところである。

二、原判決は、被告人が覆のないバツテリーの存在、バツテリーのターミナルに金属を当てれば電気的発熱を生ずること、フイルム罐の存在、荷物の置きかへられたこと、車掌が何等の措置を講じなかつたことの五つの事実乃至原理に付ての認識を持つていたことを前提として、バツテリーに覆いをさせる等適切な措置を講ずる注意義務、フイルム罐がバツテリーに接触せぬよう車掌若くはフイルム罐所持者に対して注意を与える注意義務を定立した。

その内、バツテリーに覆いをさせる等適切な措置を講ずるの義務は検察官が起訴状において主張しなかつたものである、云う迄もなく検察官は被告人が覆いなきバツテリーの存在を知り乍らフイルム罐を見たことを主張し、これと荷物の置き換へ及び車掌が別段の注意をなさざりしことの認識とを合し、そこから車掌並にフイルム所持者に対してバツテリーにフイルム罐を接触させぬよう厳重な注意を与へる注意義務あることを導いていたのである。

以上の注意義務定立の前提となる五条件に付原審が事実の誤認をなせることは前述したが、今仮にこれらが原判示の如く認められるとしても、その最後の条件たる荷物の置き換へがなされたのと事故発生との間には僅かに、三、四十秒の時間しかなかつたことは、昭和二十七年三月二十六日附検証調書中二の(ロ)項「大西停留所前から現場迄の自動車所要時間が三十二秒なる」旨の記載、森岱義外一名作成に係る同年六月二十四日附鑑定書中「本件バツテリーと同じ電圧のバツテリーにフイルム罐を接触させフイルムが発火する迄の所要時間が十秒なる」旨の記載等に照して疑ないところである。従つて当時運転業務に従事し全注意力をこの業務に傾注する被告人がその貧弱なるバツテリーの知識を以て、尚且つ、この三、四十秒と云う短時間に一旦忘れ去つたバツテリーとフイルム罐とを想起し次いでその相互の接触、フイルムの発火を連想し車掌又はフイルム罐所持者に注意を与うべき旨の判断と決意とをなし得るかは甚しく疑問であり、寧ろバツテリーに付ての知識に乏しく気転が利かざるに加へ、注意力を他に集中する被告人にはかかる行動を期待し得ざるものとすることが、一層本件の具体的事情に適合するものである。

原判決は、弁護人の期待可能性の主張を排斥し、その理由として、バスが大西停留所を発車する迄に被告人は当然せねばならぬ注意義務を怠つていたのであり、それ迄に災害防止のため適切な措置を採る方法と機会は存在したと説示する。然し原判決は、大西停留所で荷物が置き換へられたことと車掌が注意をなさざりしことの二条件及びこの両者に付ての被告人の認識を強調しつつ所論の注意義務を説示するのであり、このことは判示事実自体からも又証拠説明中に右の二条件と被告人のこれに付ての認識を一度ならず強調していることからも疑ないところである。更に結果論としても、この二条件だになかりせば事故が生じなかつたかも知れず、又被告人がこの二条件の認識を欠いていたならば、被告人は判示の如き過失責任を問われなかつたかも知れない。従つてかかる条件と被告人のこれに対する認識とを判示し強調しつつ注意義務を定立し乍ら、期待可能性の抗弁にあうや、俄にそれらがなくても同じことだとして排斥するのは少なくも首尾一貫した態度とは云へなく、かくの如くんば、原判決は荷物の置き換へや車掌が注意せざりしこと(この二つは恐らくは大西停留所発車以後の事象である)及び被告人のこれが認識を単に修飾的文章として附加えたにすぎぬものと解する外はない。然しそうでないことは、運転士の注意義務が法規以上に互ることを説明する資料として、原審は殊の外「車掌が注意せず、而も被告人はそのことを知つていた」との事実を強調しているところからも明かである。

この点において、原判決は期待可能性についての判断を誤まり、期待可能性なきに責任を認めた違法がある。

尚被告人の一般的知能の程度、バツテリーに関する特殊的知識の程度、運転業務に注意力を集中する場合における被告人の一旦忘れ去つた他の事柄に関する連想及び推理能力の程度が弁護人の主張する期待可能性の判断に絶対必要な資料となる。

従つて、弁護人は第五回公判廷において、これらに付ての心理学的な鑑定を請求したところ、原審はこれをも却下したのであり、この点において原判決は審理不足の違法ありとも云へるのである。

以上原判決は採証の法則を誤り、事実を誤認し且つは注意義務及び責任に付ての法律的判断を誤つた違法がある。

本件において被告人に責むべき点ありとすれば、それは東運転手の依頼を承諾し、覆いのないバツテリーをバス内に積込ましめるに至つた一事である。然しこれは、本件事故の一条件をなすに過ぎず、その原因をなすものではないから、事故と相当因果関係ありとは云へない。従つて起訴状のみならず原判決も被告人にかかる行為の責任を問うに在らずして、フイルム罐の存在、荷物の置き換へ、車掌の不作為等に付ての認識を持ち乍ら尚且つこれを放任した点に過失の責任を求めるのである。

而してその条件たるバツテリーの積込みは被告人の行為に非ずして東運転手の前夜の所為であるが、同人はもとより何等の責任をも追究せられていないのである。

加之、このバツテリー管理の責任は全く被告人になくして車掌に移つていたのであり、フイルム罐の持込みとその取扱に付て配慮するの責任も亦同様である。

被告人は唯全身全霊を運転業務に傾倒せしめれば足り、且つそうあるべきものであつた。然るにその被告人が背後を振り返り乗客の顔を見たり、荷物を注目したりしたものと認定せられ、そこに責任を問われるに至つたものである。

かかる認定の基礎には、検察官の無理な取調べがある。原審公判廷におかる検察官の証人尋問を経験すれば思い半ばに過ぎるものがある。何となれば、調書の表面にはさしたる痕跡を残さぬとしても、自己申請の証人と雖も自己の欲せざる答弁に遭遇したとせんか、これを否定しつつ執拗に五回乃至六回も同一の事項に付ての尋問を反覆するのである。一方弁護人申請の証人に対しては「でたらめである」、「信憑力がない」と云うような嘲笑乃至非難を浴せつつ執拗に喰い下るので、弁護人は「証人尋問は証人の真実を語るもので検察官の真実を語るものではない」と強くこれに抗議したことすらある。この事実が重大であるのは、公判廷においてすら此の如き半強制的な執拗なる尋問をなす以上、密室における被疑者の取調がいかなる程度のものであるかを推認せしめるに足ると考へられるからである。然し原審はこれに付て配慮せられず、唯ひたすらに検察官調書を措信したもので遺憾に堪えぬところである。

弁護人が原審の裁判を回顧して想起する他の一事は、原審が被告人の有罪に付て予断を持つて居られたのではないかと感じたことである。例へば被告人谷に対する弁護人の尋問(第七回公判廷)中同人が「西岡を知らなかつた」旨を答弁したのを抑へ「名前は知らないが顔は知つていたのだろう、何回もバスに乗つているのだから」と誘導した事実やバツテリーの車掌に対する「引継ぎ」に関する証人重松勅正の証言を聞くや「運転手は自己の責任で荷物を引受けて車掌に引継ぐのでないから引継ぎでなく取次ぎでせう」として「取次ぎ」と訂正せしめたことなどにもそれが窺われたのである。これらに関しては公判調書の記載が真実を伝へずかかる誘導によつて生じた結論が最初からの供述乃至証言の如く記載せらている憾みがあり、前述の検察官の執拗なる誘導尋問等にも鑑み、録音乃至速記制度の授用が望まれるのである。

要するに、原判決は本件事故の結果が余りにも悲惨であるところからして応報的に被告人の責任を問うた如く感ぜられる。然し被告人は元来、車掌だに生存して居れば恐らくはかかる責任の追究を免れていたに違いないと思はれる存在に過ぎないのである。

仍て茲に「原判決を破毀する本件を松山地方裁判所に差戻す」旨の、又は「原判決を破毀する、被告人は無罪」の御判決を求めると共に、百歩を譲りかかる御判決を得られざる場合と雖も、叙上の事実関係に鑑みれば少くも原判決の科刑は重きに過ぐるものありと思料するので、予備的により軽き刑を量定せる御判決あらんことを求めるものである。

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